今日の聖書箇所では、イエスさまと律法学者たちとの論争についてと、イエスさまが話された農夫たちのたとえについて書かれています。
イエスさまと律法学者たちとの論争については、イエスさまが何の権威によって宮で教えているのか、と彼らはけしかけてきました。この問いに対して、イエスさまは答える前に、バプテスマのヨハネに関する質問を投げかけました。彼らはイエスさまの質問に対して、自分たちの立場が危うくなることを感じ、答えにならない答えをしました。
私たちはいかがでしょうか。イエスさまの福音を証ししながらも、自分の立場が危うくなると、イエスさまのことを知らないと言ってしまうことがあるのではないでしょうか。私たちの歩みが神さまのみこころにかなった、神さまの喜ばれる歩みとなるように、まず神の国と神の義を求める者となりましょう。
続いて、イエスさまが話された農夫たちのたとえについてですが、これはイエスさまのこれから起こる受難の予告であります。ユダヤの指導者たちは、イエスさまのことを「見捨てた石」としたのですが、父なる神さまのみこころは、その石が「礎の石」となることでした。
先日、イエスさまの復活を記念するイースターがもたれましたが、イエスさまが私たちの罪のために十字架にかかり、復活してくださいました。もしかすると、私たちも主人のしもべ、息子を殺した農夫のひとりかもしれませんが、そんな者にも、主はあわれみ、救いの道を開いてくださいました。神さまのご計画を感謝し、主の前に襟を正してまいりましょう。