第16木曜 ルカ17:11-37



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【11〜19節】 10人のツァラアト患者の癒し

 ツァラアトとはいかなる病気であるのか、その詳細はわかっていない。しかしそれに罹った者の処遇は旧約聖書のレビ記13章・14章に書かれている。もし人がツァラアトにかかった場合、その人は汚れた者とみなされ、社会から隔離される。彼等は同じ病気の者同士、寄り添って生きた。また、その患者は病気が癒された場合、まず祭司に見せ、その病の癒しを宣言してもらわなければ社会に復帰できなかった。この記事で注目したいことは、10人の患者はイエスの言葉を信じ、それぞれ病気が癒されるほど信仰を持っていた。にもかかわらず、祭司のところに行く途中、癒されたことに気づいてイエスの元に帰ってきたのはたった1人だけであったということである。しかもこの患者は当時イスラエル人と犬猿の仲であったサマリヤ人であった。この記事は、やがて福音が異邦人(外国人)にも伝わり、救われる者が出る予表となっている。

【20〜21節】 神の国の到来についての問答

 20節・21節はイエスとパリサイ人の問答が記されている。当時ローマの圧制に苦しんでいたイスラエルの人々は、やがて救世主が出現し、「神の国」が建国されることを待ち望んでいた。しかし、イエスは21節に於いて、「神の国」とは可視的に、そして地上の国としてくるのではないと明言する。
 21節後半の「神の国は、あなたがたのただ中にある」という言葉の解釈はいくつかあって定かではないが、いずれにせよイエスの出現により、「神の国」はすでに到来しているのである。

【22〜37節】 イエスの再臨

 22〜37節は「イエスの再臨」について述べられ、「神の国の到来」とは区別される。「人の子の日」、「人の子の現れる日」と書かれているのは「イエスの再臨」のことである。その訪れは「天の端から天の端へと輝くように」すべての人に表され、ノアの箱舟、ロトの時代と同じように突然人々の日常に訪れるのである。


【信仰告白】

[2] 使徒信条