第15土曜 ルカ13:22-14:11



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 「主よ。救われるものは少ないのですか?」(23節)とイエス様に問いかける人がいました。しかしこれは、主の目には無益な問いだと映りました。この問いを発した人の心の中には、おそらく「自分は救われるだろう!しかし、他の大多数の人たちは救われないに違いない」との傲慢さがあったと思われるからです。イエス様は、この問いに対して「努力して狭い門から入りなさい」と告げられます。

 私たちは、いつも他人のことをうわさの種にして、あれやこれやと語りたがります。けれども福音=主の救いの知らせは、いつも、「あなたはどうなのか」と問いかけてくるのです。
 私たちは主の憐れみによって、重い罪責から救い出されました。けれども私たちは利己的な思い、物欲、世間的名声、名誉欲などを背負ったままでは狭い門をくぐり抜けることができません。この世のもの=肉のもたらすものを、大切に握り締め、さらに、それらにより頼もうとしているのなら、深い意味での救いにはあずかりえないのです。

 誤解しないでいただきたいのですが、信仰によって義と認められること、神様からの一方的な恵みによって救われることは絶対的な真理です。しかし、その救いを受け取った後、私たちは何もせずに、安穏としていてはいけないということです。主の救いは、それを受けた人を懸命に努力させ、精進させるものなのです。神様は、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(申命記6章5節)と私たちに求めておられます。私たちの精一杯の生き方を、一生懸命な歩みを期待しておられるのです。また御言葉に、「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」(第二ペテロ1章5〜7節)と勧めています。


【信仰告白】

[2] 使徒信条