押し寄せてきた群衆に向かって、イエス様は「この時代は悪い時代です」(29節)と語られます。それは、多くの人々の心の目が曇り、光なるキリストを正しく、澄んだ目で見ることができないからです。心の目が曇った人々は、キリストに対して興味本位の、あるいは批判的な対応をします。彼らは、目に見えるしるしを要求するのです。しかし、イエス様は、「ヨナが3日3晩、魚の腹にいた後、外に吐き出されたように、私も死に、そして3日目によみがえる」、これだけが、あなた方に与えられる「しるし」なのだと語ります。
イエス様は、「ここにソロモンの知恵よりもまさった知恵を持つ者がいる、またニネベを悔い改めへと導いたヨナよりもまさった者がいる、それなのに、なぜあなた方は、この私の知恵、この私の力に気づかないのか」と嘆いておられます。「南の女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たではないか!またニネベの人々はヨナの説教を聞いて、悔い改めたではないか!それなのになぜ、あなた方は心の目を曇らせ、心をかたくなにしているのか」と責められるのです。
その後、当時の宗教指導者であったパリサイ人と律法の専門家が、イエス様のもとにやって来ます。イエス様の失言・失態をあばき出し、イエス様をおとしめるためでした。パリサイ人や律法の専門家は、十戒や律法を研究していく中で、たくさんの戒めを作っていました。そして、それらを人々にも教えていました。食事の前のきよめの洗いも、その典型例でした。彼らは、そうした戒めを守ることができない人々を、「罪人だ!地の民だ!」と見下していました。地の民とは、天国に行くことができない者という意味です。
イエス様は、こうした宗教家たちに偽善があることを見抜かれ、彼らを厳しく非難されます。外側(形式)は立派に見せることができても、内側(心)は強奪と邪悪でいっぱいだと言われます。彼らは、「公義と神への愛」(42節)をなおざりにしていたのです。
イエス様は立て続けに、彼らを痛烈に非難していますが、それは、パリサイ人・律法学者の目が暗い状態にあり、神様の真理を全く悟っていないからです。そして彼らの父祖たちが、神様から遣わされた預言者たちを殺してきたように、彼らもまことの預言者であるキリストをやがて殺すからです。しかし、彼らは「自分たちだけが神の知識のかぎを握っている」と自負していました。その傲慢さに対して、主イエスは怒り、嘆いておられるのです。