第15日曜 ルカ11:1-28



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【1〜13節】 祈りの教科書

 弟子たちはイエス様が祈る姿を見ていました。そして、このイエス様の祈りに倣いたいと真剣に願いました。私たちは、祈りがマンネリ化・形式化しやすい存在です。どう祈ったら良いのか分からなくなる時もあります。祈れない、いや祈りたくないこともあるでしょう。
 しかし神様は、私たちに祈るようにと求めておられます。祈りは、神様との親密な交わりであり、私たちが生きていくために必要欠くべからざるものだからです。私たちも弟子たちと同じように、「主よ・・・祈りを教えてください」(1節)と、願い求めていきましょう。

 弟子たちの願い求めに対して、イエス様は次の3つのことを教えておられます。

  1. 祈りの具体的な内容としての主の祈り(2〜4節)
    私たちは、主から与えられた主の祈りをさらに深く理解し、この祈りを日々の祈りとしていきたいと願わされます。
  2. 祈る私たちの姿勢(5〜10節)
    信仰をもって、主に期待して積極的に祈っていきましょう。このたとえでは、旅をしてきた友人のために、「パン(=愛)を貸してくれ」としつこく願い求めています。私たちの内側には友人・隣人に食べさせてあげるパン(=愛)が無いかもしれません。だからこそ、それを与えてくださる神様に願い求めにいくのです。
  3. 祈りに答えてくださる神様の愛(11〜13節)
    私たちの祈りに応えてくださる神様は、父なるお方です。私たちを神の子とし、大いなる愛をもって、絶えず私たちに最善をなしてくださいます。この父なる神様に、私たちは祈り願うことが許されています。

【14〜28節】 心を神の言葉で満たしていただく

 イエス様が悪霊を追い出されるのを目撃した群集は、様々な反応をしました。大部分は、驚きの反応でしたが、イエス様の業に対して、疑いをもって否定的な反応を示す人たちもいました。「悪霊のかしらベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのだろう」(15節)と難癖をつける人たち、または、本当に神の子なら、「天から来たという証拠の奇蹟を見せてみろ」(14節)という人たちまでいました。イエス様は、このような敵対感情むき出しの者たちの心を見抜き、彼らの議論を封じられます。そして、彼らのことを「わたしの味方でない者、わたしに逆らう者、わたしとともに集めない者、散らす者」(23節)と呼ばれます。
 それから、ひとつのたとえ(24〜26節)を通して、人の心は、常に神様から与えられる良きもので満たされていないと、すぐに悪しき者に支配されてしまうと警告なさったのです。神様から与えられる良きものとは、13節に語られています「祈りを通して与えられる、私たちの助け手であり、導き手である聖霊」と、28節に語られています「神のことば」でありましょう。
 今日も祈り、御霊と御言葉に導かれながら歩んでまいりましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条