「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう」(41節)と主は嘆かれました。私たちも今の変わらないような曲がった世に対して、同じ嘆きを叫んでしまいたくなるときはあると思いますし、また疲労落胆があると思います。しかし大きな励ましであるのは、今回の「主の変貌の場面」の記事ではないでしょうか。
主はご自身の「苦難と死とよみがえりの予告」(22節)という、弟子たちのよくわからない(45節)、ある意味ショッキングなことを教えられた後、今度は弱い弟子たちへの励ましのためにも、ご自身の本来の神とともにおられたときの栄光のお姿を少しの間でも弟子たちに垣間見させてくださったのだ、とも言われております。主の本来のご威光というものは、今回のように「御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた」(29節)ような偉大なお姿なのです。また、「雲がわき起こって・・・包まれ」て(34節)、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」(35節)という声が聞こえました。
主に従うということは「日々自分の十字架を負う」(23節)というある意味困難な、信仰のこの世の旅路ではありますが、しかし私たちの主の本来の偉大な栄光に輝くそのお姿を忘れることなく、また「自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来」られる(26節)主の再臨を祈り願うものでありたいと思わされます。「主と主のことばとを恥」と思うことのない(26節)みことばの証し人・伝達者とさせていただけますように。