第13水曜【ルカ6:27-49】



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 「敵を愛しなさい」(27節・35節)
 「私の敵とは誰ですか?」(10章29節参照)とか、「みんな味方だったら愛さなくてもよいですか?」と問うてみたりすることは、もちろんないと思います。「天の父」(36節)があわれみ深いように、敵味方という区別をせず、同じ唯一の神のかたちに造られた(創世記1章27節)、唯一の存在として、すべての一人一人を愛しなさい(※)、と語られます。
 ※ 神のかたちに造られたゆえに、一人一人高価で尊い(イザヤ43章4節)のです。米国独立宣言の精神を受け継いだ「個人の尊重」(日本国憲法13条)の源泉がここにあります。

 その他にも、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈り(28節)、さばくことなく(人を罪に定めることなく)、むしろ赦しなさい(37節)、と語られます。自分自身に罪があるのに(41〜42節)、そもそも罪を裁く権威は神にしかないのに、人を裁こうとすることは、自分を神とすることに等しい。そのように思います。

 さて、今日の箇所のことばは、どれも一つ一つ重たいです。にもかかわらず主イエスは、「わたしのことばを聞き、それを行なう人」(47節)になりなさい、それが確かな土台の上に人生を築くことだから、とおっしゃいます。人生のしめくくり、清算(最後の審判)の時に、立っていられるように。
 「無理です」と、ことばの重さを知れば知るほど思うでしょう。当然です。これらはどれも、人によって結べる「実」(43〜44節)ではないからです。しかし、主イエスを信じる者(主の十字架は自分の罪のためと信じ、罪赦された者)には、聖霊が与えられます。そして、その聖霊が結ばせてくださるから(ガラテヤ5章22〜23節)、キリスト者は主イエスのことばに生きる者として歩めるのです。