割礼は今日にいたるまでユダヤ人男子のすべてが受ける包皮の取り除きの儀式です。イスラエル人は、見えるしるしで他の民族と自分たちが違うことを神さまの前に自覚します。イスラエル人独自の食べ物、安息日、イスラエルの地、そして、身体に刻まれた割礼のしるしです。生後8日目、イスラエル民族に加えられるこの儀式の日には、今も親族が招かれて盛大な祝いをします。そして今もこの日に名前が発表されるのが慣わしです。
今、老夫婦は誕生した子に、御使いの指示どおりにヨハネとつけました。実際は「ヨハナン」。主はいつくしんでくださる、という意味です。ただ、老夫婦に子が誕生したことだけに「主のいつくしみ」が示されるのでありませんでした。神ご自身によって命名されたところに、将来の神の計画を見なければなりません。キリストを世に紹介するヨハネは、その生まれと名前をもって、そして死をかけて神自身のあわれみ深いことを証ししていくのです。
この子どもの誕生にあったあわれみと喜び(58節)、驚きと賛美と恐れ(63節以下)、それらは、いつくしみ深い主がやがてキリストをとおして明らかにされていくことを予感させるものです。イエス様はあなたの中に実現した主のいつくしみであることを覚えましょう。イエス様がそのような方であることを、神さまは伝えたくてしょうがなかった、そんなことを感じさせる今日の聖書箇所です。