第11土曜 ルカ1:24-56



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 エリサベツの妊娠6ヶ月目に、マリヤに御使いガブリエルが現れた。同じように男の子の誕生を告げるが、今度は年老いた不妊の女ではなく処女がみごもるというのである。当然、本人は驚いたが、聖霊によって神の子が宿ると言われた時、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(38節)と答えた。ここにみことばへの完全な信頼と自分を主のものとして明け渡す従順な姿がある。

 常識を超えることを告げられた時、そんなことはできるはずがないと考えてしまう限りある人間の弱さが彼女のうちには見られなかった。彼女のうちには自分にはできない、という謙遜を装った神への不信仰、侮辱がなかった。その言葉を告げたのは全能の神であることを認めていた。自分がするのではないことも認めていた。自分は神のものに過ぎず、神が望まれることが自分に起こることを幸いなことと受けとめていた。そのことが現実になれば、周りから姦淫の罪を犯したと非難され、石打ちにされる可能性があると予想できただろうに。

 「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」(45節)から、主によって語られたことをその生涯で実現し完成させる、救い主イエス・キリストが生まれたのである。


【信仰告白】

[2] 使徒信条