十字架を1日目と数えてから3日目のイエスの復活について書かれている。この章には追加文が2つもついている。マルコではない他の人がその後のことを他の福音書や事実に即してまとめたものだという説があるが、何にしてもこの箇所はイエスの復活とその後のことについて伝えている。
8節まではイエスのいない墓が強烈な事実として書かれている。「ここにはおられません。」(6節)一度、死に服されたイエスは、その死の力を破りよみがえられた。驚くなと言われても無理な話である。女たちは墓の中から逃げ去った。聞いてすぐに把握し理解するには、この知らせは偉大すぎ、素晴らしすぎた。
9節からのテーマに信じない心があげられる。イエスの復活を信じなかったのは、イエスと一緒にいた人々だった。イエスの行動を見てイエスの言葉を近くで聞いていた人々だった。マリヤが知らせても、仲間の2人が知らせても彼らは信じなかった。イエスの死という強い悲しみは彼らの心を頑にし、死に打ち勝つ神の力を信じられないようにしていた。しかし、その閉ざされている心の真ん中に復活の主は来てくださった。不信仰を責め、彼らをもう一度立たせてくださった。そして彼らとともに働き、みことばを確かなものとされた。
旧約聖書に預言されていた救いの神は、人となってみことばの通りに生きられ、死なれ、みことばの通りによみがえられた。そして、今も信じる者とともに生き、みことばを行い、みことばを確かなものとしておられる。