イエス様は、宮のあるエルサレムから東へ3kmのベタニヤの地に来られました。
十字架の時が迫っているなかで、イエス様はシモンの家で皆とともに食卓についておられました。ヨハネの福音書によると、3節の「ひとりの女」とはマリヤのことです。
ナルドの香油は、インドのヒマラヤ山中で採れる甘松香(かんしょうこう)という香料で作ったものです。インドの香辛料は黒いダイヤと呼ばれ、ヨーロッパでは大変高価なものでした。そのインドの、しかもヒマラヤ山中で採れる特別な植物です。それはどんなに高価なものだったでしょう。彼女はそれをイエス様の頭に注ぎました。
弟子たちは「この香油なら300デナリ以上に売れる」と値踏みしました(当時ローマ兵卒の年俸が300デナリ)。この香油は彼女のずっと貯めていた結婚資金だったと思われます。これをささげてしまっては、今までずっと彼女の夢見ていた結婚はどうなってしまうのでしょう。彼女の未来も、将来も、人生も、どうなってしまうのでしょう。
でも、彼女はそうは考えませんでした。それは、イエス様からもっとすばらしいものをいただいたからです。それは、永遠のいのちです。復活のいのちです。実は、ヨハネの記すところによると、この出来事のあった直前に、イエスは死んだ彼女の兄弟ラザロを生き返らせてくださったのです。そのとき彼女は復活のいのちを目の前で見たのです。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」そう言われたイエス様が本当にいのちなるお方で、死んだ人にも永遠のいのちを与えることができるお方であることを知ったのです。
彼女はこのときすでに、イエス様から、これからイエス様がエルサレムで私たちの罪を贖うために私たちの身代わりのいけにえとして死のうとしておられるのだという話を聞いていたに違いないのです。この食卓でも話されていたでしょう。そうなると、もう二度とイエス様にお会いできないかも知れない。だから彼女は考えられる限りのささげものをイエス様にささげようと思いました。イエス様の葬りの準備のために、これからイエス様が十字架にかけられても、墓に葬られても、ずうっと血生臭いにおいを消すために、自分にできる限りの最善のものとして、自分の香油をイエス様に注いだのです。
それをイエス様は喜ばれました。彼女にとってもそれは記念となりました。
一方、ユダはこの後、イエスを売ろうと祭司長たちのところに出向きます。ユダの姿と、香油を注いだ女の姿は対照的です。自分の人生すべてをイエス様にささげる者と、イエス様をだしに自分の利益を受けようとする者です。ユダは、お金欲しさに最後には文字どおりイエス様を売るのです。
そして、いよいよ十字架に架けられる前夜の食卓の準備が、主の導きによってなされていきます。
私たちも永遠のいのちへと召された者です。喜びと感謝をもって香油をささげた彼女のように、イエス様を愛せますように。自分の考えられる限りの最も大切なもの、私にとってのナルドの香油、人生を主にささげて、主のお役に立てますように、心から願います。