「祭りの間はいけない」(2節)と謀議されていましたが、ユダの裏切りもあり、逮捕・十字架は祭りのただ中で起きました。
過越の祭りは、出エジプト記12章1〜14節の出来事に端を発し、奴隷から解放され、約束の地へ導いてくださった神のみわざを記念して、毎年、現在の太陽暦で3〜4月頃(イースターの頃)に行われます。祭りでは、傷のない1歳の雄の子羊(またはヤギ)をほふり、血を家の門柱とかもいに塗ります(肉は家族で食べます)。これは、出エジプト時の最後の災いである神のさばきの渦中、子羊の血の塗られたイスラエルの家だけは、さばきが過ぎ越された出来事に由来します。
傷のない子羊の血によってさばきを免れる。過越の子羊は、神の子羊キリストをあらかじめ示す「モデル(型)」(第一コリント5章7節)だったことが、十字架の後にわかります。
しかし当然ですが、十字架の前は明らかではありませんでした。「わたしの客間はどこか」(14節)とおっしゃったときの、主イエスの胸中を知る弟子はいなかったのでしょう。「罪のあがないのためにほふられる、わたしの間はどこか」
後を知る私たちには、そのようにも聞こえます。
今日の箇所では、“過越の祭り”のための、それぞれの用意が描かれています。
祭司長たちの、逮捕・殺害の用意(1・2・11節)。
ひとりの女の、主体的な、埋葬の用意(8節)。
弟子たちの、命じられての、過越の用意(16節)。
そして、十二弟子のユダの、用意。