13章3節から続く、宮が崩壊される時の「前兆」(4節)について記されます。直接には、主イエスが語られて約40年後の、紀元70年に起きたエルサレム陥落についてのことと言われますが、世の終わりに向けてのメッセージでもあるので(このような二重の意味を含む預言は聖書によく見られます)、今の私たちも「よく読みとる」(14節)必要があります。
「何もかも前もって話しました」(23節)として挙げられた終わりの日の「前兆」。しかしよく見ると、どれも目新しいものではありません。有史以来、戦争や民族紛争は絶えることなく、地震や飢饉も世界のニュースから消えることはありません。偽キリストや偽預言者も、次から次に・・・。前兆だらけです。いつ世の終わりが来てもおかしくない状況です。
それに、人は自分がいつ死ぬか知りません。地上の歩みが終わり、主イエスにお会いするという意味では、世の終わりも、人生の終わりも、その人にとっては同じ「その日、その時」(32節)です。
だから、どちらの「終わり」が先に来てもよいように生きたいと思います。主イエスはおっしゃいましたから。「わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい」(37節)