13章は、いよいよこれから死なれるイエス様のなさった、告別の説教と受けとめることができます。そしてこれは、イエス様が再び来られる終わりの日に向けて生きている、私たちにも語られています。
9〜23節から「キリスト 対 反キリスト」という対立における終わりの日の構造がわかります。
「世からの迫害」(9〜11節)
「家族やあらゆる人びとからの迫害」(12〜13節)
「大患難の時代」(14〜20節)
そして、大患難を命からがらかろうじてくぐりぬけた信者を、しるしや不思議をもって惑わす「にせキリスト、にせ預言者たちによる最後の誘惑」(22〜23節)
このように、家族や国家権力からひどい迫害を受けるとき、迫害に屈して罪を犯してしまう(たとえばやむなく偶像を礼拝してしまう、信仰を捨ててしまう、そのほか十戒に反する罪を犯してしまう)とき、そのままイエス様が来られたら、天国に入ることができません。また、迫害が過ぎ去ったなら、悔い改めなければ教会から除名されます。
でも、聖霊を受けた真のクリスチャンは、この迫害を最後まで耐え忍び、彼らに対してあかしをします。こうしてキリスト対反キリストの全面戦争が展開します。総力を結集した悪魔の猛攻撃に対抗して、聖霊様は、クリスチャンを強め、最後まで、死に至るまで耐え忍ばせ、敵に向かって勇敢にあかしをさせてくださるのです。そうして福音が宣教されていきます。
「あかし」という言葉は、後に「殉教」を意味するようになりました。すなわち、クリスチャンたちは、単に言葉でキリストをあかしするのみならず、自らの血をもってキリストを証言します。そして殉教者の血が新しいクリスチャンを生み出す種子となり、流されれば流されるほど多くの回心者を生み、「あかし」は悪魔のあらゆる激しい弾圧に打ち勝って、遂には福音があらゆる民族に宣べ伝えられていくのです(10節)。
これは、イエス様がこの御言葉を語られた後ずっと、くり返されてきた歴史です。先達のクリスチャンが迫害のなかで流した血が重なって、こうして今、全世界の果てである日本の私たちのもとにも福音が届きました。
イエス様が再び来られる日がいつなのかは、天の父なる神様のみが知っておられます。それは、いつかわからないのです。でも、今が終わりの日を待つ、「終わりの時代」であることは確かなのです。だから、「主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないように」私たちも今日、信仰の目を覚ましてイエス様に従って歩めるよう心から願います。
「わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい」(37節)