今日の箇所から、イエス様のもとにやってきた3種類の人と出会うことができます。
まず、パリサイ人とヘロデ党の人です。彼らは税金を納めることについて質問しましたが、「パリサイ人」は税金を納めることについては反対者(なぜなら税金をローマ政府に納めることはローマに服従することのように思われたから)、「ヘロデ党の者」は支持者でした。だから、イエスがどちらに答えても反論する準備が整っていたのです。
しかし彼らの思いを見抜いていたイエス様は、神によって認められた制度での納税はすべきだが、そのカイザルをも神様から一部の国を治める働きを委ねられただけにすぎず、絶対的支配者である神様の前にはひざまずくべき存在であることを示されます。
さて、ここでイエス様の言われる「神のもの」とは何でしょうか。すべてのものです。地上でこの上ない権威を持っているように見えるカイザルも、ましてや私の持っている財産、肉体、精神、魂、人生、能力までもすべては神様のものです。
続いてはサドカイ人です。彼らは、貴族階級で、裕福な人びとです。世の中でも有力者で、彼らのなかから大祭司が選ばれました。このサドカイ人の質問は明らかに、復活の思想をばかにした質問でした。
それに対してイエス様は、出エジプト記の御言葉を引用して語られました。神様はモーセに、アブラハム・イサク・ヤコブはすでに死んだはずなのに、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とおっしゃったときのことが記されています。神様は、死んだ主のしもべを今も生きている者として語られたのです。これは、彼らが御使いのように霊的な存在として復活し、今も神様とのあたたかい交わりのなかに生きていることをあかししているのです。
これはすばらしい福音です。私たちもイエス様から救いを受けるとき、たとえ死んでも、霊的な存在として復活し、神様との温かい交わりに入れられるのです。
どんなに聖書の知識だけあっても、神の力を小さくしか信じないサドカイ人は、イエス様からすれば「聖書も神の力も知らない」者でした。私たちは、聖書の示す目に見えない霊的な世界を信じ、また死者の復活を信じ、聖書と神の力を知ることができますように願います。
さらに、イエス様のお言葉に感心した律法学者が訪れます。問答の末、イエス様は彼に「あなたは神の国から遠くない」そういっていただいたのです。「先生。そのとおりです」(32節)とイエス様のお言葉をそのとおり受け入れる者となりたいと思います。