第10火曜 マルコ11:27-12:12



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 「だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか」
 「これらのこと」とは直接には11章15〜17節のことです。祭司長たちがこの質問をしたのは、「どのようにイエスを殺そうかと相談」していたすぐ後のことでした。
 祭司長たちが群衆を恐れていたことが何度も記されています。彼らは自分たちの地位を守ることがなにより大切で、それを守るためなら人も殺すほどでした。だから、自分の地位をゆるがす存在をなによりも恐れていたのです。そんな彼らの質問にイエス様はお答えにはならず、たとえを話されました。

 このたとえにはスケールの大きい、イエス様が来られるまでの歴史が描かれています。ぶどう園を造った「ある人」とは神様であり、ぶどう園を託された農夫たちとは指導者たち、季節になって遣わされた「しもべ」とは、預言者たちを示します。
 神様は今まで多くの預言者たちを遣わして、悔い改めて神様に立ち返るようにと、ずっとずっとユダヤの人びとに語り続けたのに、ユダヤ人たちは神様に立ち返らずに自分勝手に生き、かえって彼らを迫害し続けてきました。それが旧約時代の歴史です。
 そして遂に、時至って、父なる神様は、御子イエス様を送られたのです。
 しかし、ホラ、神から遣わされた神の子イエスを、今ユダヤ人の指導者であるあなたがたは、殺そうとしているではないか。というのです。その通りに、まもなく後に、イエス様は祭司長たちによって捕えられ、十字架にかけられ、殺されます。

 でも、なんと、この殺されたイエス様が、罪人の私たちをも救いに入れてくださる御国の土台となられるのです。それはイエス様が殺されたのは「私たちの罪を代わりに負って」死なれたからです。このイエス様の十字架の死が、神の国の四隅をしっかりとおさえる土台です。私たちが救われ、天の国に入れる根拠は、私たちの功績によるのではありません。努力によるのでもありません。私たちが救われる根拠はイエス様にあります。
 この世に見捨てられ十字架刑となったイエス様が、私たちの救いの約束を四隅から支えてくださるのです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条