第10日曜 マルコ10:35-52



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 自分のほうが優位でいたい、そんな思いが私のうちにあることを感じます。
 でも、イエス様は、主のしもべに教えてくださいました。ホラわたしをごらん。と、人の子の姿を示されました。ふりかえれば、イエス様の手はいつも人の必要のため、人をいやすために働いていました。イエス様の足は、苦しむ人を訪ね、その人に仕えるために動いていました。イエス様の目は、自分を喜ばせることを見つけるためではなく、人々の痛みや必要を見つけるために開いていました。イエス様は自分のすべてを、人に仕えるため、しかも罪人に仕えるために用いてくださいました。
 そしてこの後、イエス様は、罪人のために、私を救うために、ご自分のいのちを捨てて仕えてくださいました。このイエス様に救われた私たちも、今までと同じ価値観から変革される必要があります。

 考えてみれば、弟子たちであっても、イエス様の恵みを受けて弟子としていただいたので、なにも偉くありません。むしろここで、人としてふさわしくイエス様に向き合ったのは、盲人の物乞いバルテマイでした。彼から、信仰の姿を学ぶことができます。
 1つめに、彼は、自分がイエスさまにあわれんでいただくほかない存在だと知っていました。
 2つめに、彼は、まわりにたしなめられても、あきらめない信仰をもちました。
 3つめに、彼は、イエス様に、自分のできるかぎりの敬意を示したのです。
 バルテマイは、イエス様の御前に、自分が何者なのかをわきまえていました。そして、イエス様はこの信仰を認めてくださり、彼の目をいやし、彼の闇に光を照らしてくださいました。彼の人生はイエス様についていく人生に変わったのです。

 私たちは今もう一度、イエスさまの仕える姿――罪人である私に仕えてくださった――その姿をおぼえたいとおもいます。またバルテマイの信仰を学びましょう。イエス様は、この時とかわらず、今日も私たちの生活を、私たちの心を、私たちの家庭を、闇から光に回復させてくださるお方です。


【信仰告白】

[2] 使徒信条