第9木曜 マルコ9:14-32



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 山を降りてこられたイエス様を待っていたのは「不信仰な世」の現実でした。少年がいやしを求めてイエス様のところへ連れて来られ、山に行かずに残っていた弟子たちが汚れた霊を追い出そうと試みたのですが、彼らは以前にイエス様からその権威を授かっていた(6章7節)にもかかわらず、できませんでした。そして、律法学者たちと論じ合っていたのです。

 「いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう」。十字架に向かって歩むイエス様は、弟子たちの相変わらずの不信仰ぶりを嘆かれました(19節)。
 イエス様のもとへ連れてこられると、少年は引き付けを起こし、あわを吹きながら転げ回りました。父親は「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください」と願いますが、イエス様は「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」と語られます。神にとって不可能はありません。イエス様が問われているのは、私たち人間の信仰なのです。「信じます。不信仰なわたしをお助けください」。イエス様は父親の信仰にこたえて、息子から汚れた霊を追い出されました。

 それにしても、なぜ、弟子たちには霊を追い出せなかったのでしょうか。イエス様は、「祈りによらなければ」、つまり、神様との深い交わりの中で神様の力を受けなければ、決してこれを行うことはできないと教えられました。神様の力は、神様を心から信頼する者をとおして働くのです。逆に、不信仰は人を無力にし、無益な議論を繰り返させます。
 イエス様は弟子たちに向かって、繰り返し、ご自分の受難の予告をされます(30〜32節)。


【信仰告白】

[2] 使徒信条