イエス様はガリラヤを去り、異邦人の地方へ入って行かれました。すると、それを聞きつけたスロ・フェニキア生まれの女性(異邦人)がイエス様のもとへ駆けつけて来てひれ伏し、自分の娘から悪霊を追い出して下さるようにと必死で願い続けました。ところが、イエス様はそれを退けられたのです(27節)。「子どもたち」はユダヤ人、「パン」は福音を意味しており、「小犬」とは当時のユダヤ人の習慣で異邦人を指すものでした。たしかに、パンをまず子どもたちに与えるのは当然です。イエス様は、これらの表現をあえて用いて、現時点では、福音はまずユダヤ人に届けられなければならないことを彼女に伝えられたのです。
しかし、彼女も引き下がりませんでした。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます」と、あきらめずイエス様に食い下がったのです(28節)。その信仰をイエス様はご覧になって、彼女の願いどおりに娘を癒されたのでした。
私たちも今日、主の前にへりくだりましょう。それと同時に、このお方に心から求め、信頼を寄せていきましょう。主は私たちの信仰を見ておられるのです。それに応える祝福を用意して、待っておられるのです。「主よ、私にはあなたが必要なのです」
8章1〜10節には、6章30節以下に続いて再びパンの奇蹟が記されています。空腹を抱えた群集を心配されるイエス様のことばは大変印象的です(8章2〜3節)。イエス様は彼らを深く憐れみ、たましいと肉体の両面において養って下さいました。私たちの日々の歩みも、主の愛の配慮によってあらゆる必要が満たされていることを覚えましょう。