宣教小旅行より戻った十二弟子たち(ここでは使徒と呼ばれています)は、主イエスより離れて休息をとるよう命じられます。神の尊い働きであっても、あるいは尊い働きであるからこそでしょうか、関わらなければならない人々から離れ、心身を休める必要があります。
ただその意に反して、多くの群衆は、さらに押し寄せ、「牧者のいない羊のようだ」と主イエスの(腸がちぎれそうなほどに)深いあわれみを誘うのでした。いろいろと教えて時刻が遅くなったとき、主イエスは5つのパンと2匹の魚で男だけで5,000人の人を養います。霊的な糧だけではなく肉体の糧を必要とする人が、主イエスによって満たされ、さらに12篭の余りを見るほどに祝福された出来事でした。主イエスは弟子たちを強いて舟に乗りこませ、ご自分は岸辺に残り群衆を解散させます。弟子たちにはそれほどに休養が必要だったのです。主イエスは、群衆の、そして群衆に奉仕する弟子たちの牧者として立っていてくださいます。
弟子たちは嵐のガリラヤ湖でもうひとつの大きな経験をいたします。主から離れて湖上に乗り出したのはやむを得ないことだったのですが、主から離れた自分たちの無力、格別に、主のわざから悟ることのできない自分たちの不信仰を知ることになります。主はもしかしたら弟子たちにそのような方法で実相を知らせようとしたのではないでしょうか。自分たちの臆病、怠慢、不信仰、無力を知って「恐れることはない、わたしだ」と言われる方を受けいれ直すこと。それが魂の深いところが癒される、真の回復になるのではないでしょうか。