病の癒しを必要とした2人の女性の話です。1人は会堂管理者ヤイロの娘12歳。もう1人は12年間長血を患う女性です。同じ12年でも2人の境遇は著しく違い、1人は、有力者(会堂管理者)を父に、周囲から愛されて、裕福な娘時代。もう1人は、多くの医者にさんざん非道い目に遭い、お金を使い果たし、あいかわらず病に苦しむ、もう若くはない孤独な女性。同じ地方、同じ時代に生きる同じ時間にも、大きな違いがあるようです。
でも同じことがあります。人生で幸せそうでも不幸なようでも死は必ずやってきます。そして若いヤイロの娘のほうに突然それが訪れたようです。父親はひれ伏して主イエスに来ていただこうとします。一刻の猶予もないはずです。
しかし主イエスは自分の力が出ていくのを知ると、割り込んだその人を捜します。急いでいるはずなのに、慢性の病が癒えた女性と話そうとします。主は御心でしたら、他の人をおいてでも、あなたのたましいの状態にまで深く関わろうとする方です。
さてヤイロの娘は死にました。途中で時間を食いすぎて間に合わなかった。いいえ、主は思いもよらない方法、「タリタ、クミ」の声をもってヤイロの娘は生き返りました。一度に2つの大きなことはできません。主もまた、ひとつ、またひとつとやっていかれた。手遅れのように見えても、主の御心はすべての人にとっての最善をなすのです。