どうしてこんなに物事がうまく伝わらないのだと思った経験はありませんか。主イエスの宣教もまた誤解続きでした。2つの典型がここであげられています。ひとつは主イエスの家族からのもので、みことばを伝える主イエスは気が狂ったという評判が気になって、家に連れ戻そうとしました。もうひとつは、律法学者たちからの中傷で、主イエスの悪霊の追い出しは、神の霊によるのではなく、悪霊のかしらによるというものでした。
主イエスはまず律法学者たちに道理を説きました。サタンが内輪もめするようであれば怖ろしくないのですが、サタンは「強い人」であって、神の力によって縛り上げなければなりません。主イエスを誤解し、神を汚すような発言をすることもあるでしょう、しかし聖霊があなたを信仰に導こうとするとき逆らうならば取り返しがつかなくなるのです。
さて母と兄弟たちは主イエスを連れ戻そうとしましたが、あたかも無視されたかのようです。しかし主イエスは肉親の情を乗りこえただけでなく、このとき「もうひとつの家族」を構想されました。35節「神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」。血縁やしがらみではなく、神の御心を行うことによってできる共同体、すなわち教会、神の家族です。神の御心を行うとは、主イエスのそばに座って、主イエスを仰ぎ、主イエスに聴こうとすることです。教会は礼拝共同体であって、神のことばがどう語られ、どう聴かれていくかということが大切なのです。主イエスは湖の畔で、まず種蒔きのたとえを話されました(4章1〜9節)。