安息日はユダヤの休息の日です。休息といっても食べないでいるわけではありません。食糧の用意がなければ自分で調達してもいいはずです。麦畑で穂を摘むことは誰であっても許されていました。どの日に何をするかは主イエスに聴くべきです。
安息日はまた礼拝の日でもありました。神を礼拝する場所でいつも隅に追いやられている片手の萎えた人がいました。パリサイ派の関心は主イエスを訴える口実を見つけること、主イエスの関心はすべての人をとおして神様の栄光が現されることでした。安息日であっても、いいえ安息日だからこそ、神様のみわざがどんな人にも現れるべきなのです。翌日に後回しせず、パリサイ派との衝突にひるまず、主イエスは安息日に善を行い、片手の萎えた人の魂を救いました。
大勢の人が主イエスの助けを必要としていました。たくさんの病人が癒され、悪霊との戦いもありましたが、十二弟子を任命して主イエスはより多くの人に届こうとしました。誤解が広まるのではなく(12節参照)、正しく福音を伝えて神に奉仕する人は、主イエスと共にいなければなりません。聖書を読み、祈り、自分にたいする神様の御心について黙想し、主イエスとほんとうに深く交わりましょう。十二弟子の1人はイスカリオテ・ユダでした。表向きだけの弟子であってはなりません。