第7土曜 マルコ2:1-22



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 カペナウムの家でイエスが教えておられるとき、突然屋根がはがされ、上から中風の男が床に寝かされたままの状態でつり降ろされてきます。この背後には、男の絶望的な病と4人の友情、そして彼らの、病をいやすイエスへの信仰があります。イエスは男に「あなたの罪は赦されました」と宣言します。律法学者たちをはじめ、その場に居合わせた人々は、一体イエスは何者なのだろうと疑問を持ったに違いありません。
 イエスの来られた目的は、罪の赦しであって、病のいやしはその権威のしるしに過ぎませんでした。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(17節)罪を赦す権威を持っておられるというのは、ご自身の十字架の上での死を前提にしていることを忘れてはなりません。自分の行ないで救われるのでのはなく、イエスの十字架という身代わりの死によって罪が赦されるとは、誰も思いもつかないことでした。これは律法により義と認められようとするユダヤ教という「古い服、古い皮袋」には相容れない、全く新しい神のご計画でした。今日の私たちはどうでしょうか?自分の努力や善行によって神に認められようとし、またそれができない自分の力の無さにがっかりしたりと、古い皮袋にとらわれている自分の姿がないでしょうか?


【信仰告白】

[2] 使徒信条