「私は決してつまずきません」(33節)、「私は、あなた(イエス)を知らないなどとは決して申しません」(35節)と断言したペテロでしたが、結局はイエスを見捨てて逃げ出します。しかし捕えられたイエスのことを心配して、こっそりと大祭司の中庭で裁判の様子を伺っていたのでした。そんな時、その場にいた人々にペテロがイエスの仲間であることがばれ、ガリラヤなまりまで指摘されます。これに対しペテロは、「何を言っているの分からない」とごまかし、「そんな人は知らない」と誓い、最後はのろいをかけてまで誓ってしまいます。小さなごまかしは、イエスを否定するという大きな罪へと膨らんでいきました。その時、鶏が鳴きました。ペテロは「鶏が鳴く前に私を三度裏切ります」(34節)と言われたイエスの言葉を思い出し、激しく泣きました。
イエスの逮捕から一夜明け、ユダヤ人宗教指導者たちはイエスを死刑にするため2度目の協議を行い、地方総督ピラトにイエスを引き渡しました。イエスが罪に定められたことを知り、ユダはイエスを裏切ったことを後悔します。銀貨30枚を祭司長たちに返そうとしますが、彼らは受けとることを拒否します。ユダはそのお金を神殿に投げ込み、首をつって自殺しました。ユダは銀貨30枚でイエスを裏切って宗教指導者たちに売り渡しました。これは当時、奴隷ひとりを買う値段で、イエス、ひいては神様の価値を値積りされたものでした。祭司長たちはそのお金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓にしました。これは、エレミヤ32章6〜9節とゼカリヤ11章12・13節の預言が成就したものです。
ユダは後悔はしましたが、自分の犯した罪を悔い改めず、神に赦しを求めず、自ら命を絶ちました。しかし、ペテロは後に三度イエスを否定した罪を悔い改め、赦され、再び使徒として用いられるようになったのです。
死刑執行の権限を持つローマの地方総督ピラトは、イエスが「王」という表現で反ローマ的政治犯であるかを確かめることから審問を始めます。「あなたはユダヤ人の王ですか」(11節)という問いに、イエスは「その通りです」(11節)と答えられます。「私の国はのこの世のものではない」(ヨハネ18章36節)とも答えておられように、イエスはこの地上の政治的な王ではなく、霊的な王、すなわち救い主として永遠の王座に着く王であることを意味しています。その後、祭司長や長老からは不利な証言が出されましたが、イエスは沈黙を守られ、ご自分を弁護されることはありませんでした。ピラトは普通の犯罪人とは異なるイエスの態度に非常に驚きました。