聖餐式のたびに多くの教会で読み上げられるであろう、主の聖餐の言葉が語られ、その後(26〜29節)、イエス様たちはオリーブ山へ向かいます。弟子たちだけを集めて、最後の日の心構えをお話になったあのオリーブ山。その山に立った弟子たちの心には、「だから目を覚ましていなさい」(25章13節)という昨日のイエスの言葉が自然と思い起こされたのではないでしょうか。
しかし弟子たちは、不覚にもイエス様がお祈りされている間、眠ってしまったようです。祈りを終え弟子たちの所へ戻ってきたイエス様は、昨日オリーブ山で繰り返された同じ言葉を再び弟子たちに告げられます。「誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈っていなさい」(41節)。
そのようなことが3度繰り返された後、「時が来ました」(45節)とイエス様はおっしゃいました。弟子たちが目を閉じて休んでいた間に、暗闇の中にひたひたと迫ってきた「時」。その時はどろぼうのように思いがけない時に来る(24章43節)。まだまだだろう、と娘達がうとうとと休んでいる時にこそ来る(25章5節)。そのように語られた、昨日のイエス様のたとえ話が想起されるような場面です。