イエス様は続いて、その日の直後のことを語ります。「人の子のしるし」(30節)を見上げた人々の目は「悲しみ」(30節)に満ちている、と言います。その悲しみの目は、苦難の中に生きてきた証拠でもあるかのようです。アフリカの飢餓の中で苦しむ母と子が、力なく遠くを見つめて座っている写真を見たことがあります。飢餓の苦難での中で生きてきたその母親の目が、この箇所を読む私の脳裏に浮かんできます。
イエス様が来られる日。それは「思いかげない時」(44節)です。その突然さを、イエス様は3つのたとえでお話になります。
1つ目は、ノアの日のように、突然に(37〜41節)。さっきまでごく普通に「飲んだり、食べたり」生活していたかと思うと、もうその日が来ているのです。
2つ目は、どろぼうが入ってくるように、ひたひたと(42〜43節)。
3つ目は、出かけていた家のご主人様が帰ってくる時のように思いがけず突然に(44〜51節)。鬼のいぬまに洗濯とばかりに浮かれていたら、まさかと思うような時間に、ご主人様はもうそこにいるのです。どきり、とするような思いがけなさです。