パリサイ人ほどではなかったですが、彼らと並んで宗教グループの一派であったサドカイ人は、唯物的な合理主義者で、復活や御使いを信じない人々でした。そんな彼らがイエス様をわなにかけるために、おかしな質問を投げ掛けました。
24節にあるように、旧約聖書の申命記25章5節では、死んだ兄の家系を保ち、その財産を維持するためにも、その弟は兄嫁をめとることになっていました。28節までの彼らの質問を聞いていたイエス様は、「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです」(29節)と語られました。一宗教家として、大きな恥をかくことになりました。
死人の復活の真理(32節)を、出エジプト3章6節からくみ取っておられるイエス様の視点に驚かされます。
サドカイ人たちが対抗できなかったとして、パリサイ人たちは、内心「よーっし!」と思ったかもしれません。復活も御使いも信じていたパリサイ人でしたが、やはり「ためそうとして」イエス様に質問を投げ掛けました。律法の軽重を示させ、何かにつけてつけ込もうとしていたようです。
しかし、専門家の中の専門家であられたイエス様の、真をついたお答え(ユダヤ人たちが毎日唱えていたみことばの中から引用されました)に、彼らは権威と妥当性を認めざるを得なくなり、退散することになりました。
今度は、珍しくイエス様からの質問が記されています。救い主はダビデの子孫から生まれる、すなわち「ダビデの子」であるとされていました。当時も、イエス様を「ダビデの子」と呼ぶ人が少なくなかったようです(マタイ9章27節、20章30節)。
しかし、「名は体をあらわす」とあるように、繰り返し用いられる名称には実質的なイメージもくっついてきます。イエス様はご自分を正しくとらえてほしいと思われ、詩篇110篇1節を引用して、ご自分がダビデの主(ダビデに優るお方)であられることを明確に示されたのでした。
「モーセの座」とは、神様の教えを教える立場にあるということで、律法学者やパリサイ人たちの教えるみことばの教えには、全面的に従うべきであるが、彼ら自身の普段の行いはまねてはいけないと、群衆と弟子たちを前にイエス様が仰られました。そして、続いてその理由が述べられています。
一言で言うと、彼らの虚栄心と高慢による行いのためでした。「経札」や「衣のふさ」は、神のみことばを表す入れ物や飾りであり、彼らはそれらを目立たせることで、自分を敬虔であるように見せてしまっていたのでした。また、「上座」や「上席」を好み、「先生」「父」「師」などと呼ばれることを好む虚栄心をイエス様は鋭く非難されました。彼らは立場からすれば、その逆の振る舞いをするべき人たちだったのです(11〜12節)。