第4火曜 マタイ16:13-28



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 パリサイ人やサドカイ人との間に不穏な空気が流れた後、イエス様と弟子たちはピリポ・カイザリヤの地方に行きました。ここでは、ギリシャ神話の神が祀られていて、ヘロデ・ピリポ(マタイ14章3節)によって、ローマ皇帝アウグストゥスに敬意を表し、カイザリヤと名づけられた場所でした(パレスチナのカイザリヤと区別して、ピリポ・カイザリヤと呼ばれた)。この地方は、異教礼拝と皇帝崇拝とが交じり合う場所なのです。この場所で、イエス様は弟子たちに、人々は「人の子(ここでは、神秘的意味があり、イエス様を指す)」をなんと呼んでいるか、尋ねました。
 弟子たちは「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者のひとり」と答えます。この中で挙げられているエリヤもエレミヤも、「救い主の到来を予告する人」と思われていた預言者です(実際は、その役目はバプテスマのヨハネが担いました)。少なくとも人々は、イエス様に対して尋常でない力 ― 「メシヤ(キリスト)」が来る予兆 ― を感じていたのです。キリスト本人だとは、気が付く人は多くはありませんでしたが・・・。
 弟子たちの答えを受けて、イエス様は「あなたたちは、だれだと言いますか」という、さらなる問いをしています。シモン・ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えました。ペテロの信仰告白を聞いたイエス様は、「この告白は、岩のように不動のものであり、それは、人間から出た発想ではなく、神の導きによるもの」で、「この告白の上に『教会』が立つこと」を予告します。いかなる地上の権力も、この告白を揺るがすことは出来ないのです。

 「その時から(21節)」、すなわちペテロの信仰告白の後から、イエス様はエルサレムで受ける苦難と3日目によみがえる事とをはっきりと予告し始めました。これは、「あなたは生ける神の御子キリスト」という告白と、十字架・復活の出来事は、切り離す事は出来ないことを示しています。なのに、ペテロは「そんなこと起こるはずがありません」と、イエス様の発言を止めようとするのです。ペテロは、イエス様が「そんなこと(22節)」を通らなければ、自分は救われないとは気がついていません。「イエス様への配慮」というオブラートに包みながら、ペテロは、自分が「罪人」であり、イエス様の十字架による贖いが必要であることは、まだ気がついていないのです。

 この後、イエス様は「自分を捨て、自分の十字架を負い、ついていく」という「弟子として従う道」を語りました(24〜27節)。信仰告白は、単なる告白ではなく、実践を生むのです。その実践の為に迫害を受けることがあったとしても、迫害者たちは、信仰者の「魂」に死をもたらすことは出来ません。それは丁度、地上のいかなる権力も、神が導いて下さった信仰告白を揺るがす事が出来ないように・・・。


【信仰告白】

[2] 使徒信条