第1土曜 マタイ6:1-18



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」 具体的には、施し、祈り、断食という宗教行為についてイエスは教えている。「善行」と訳されている語は直訳「義」である。宗教行為が宗教行為として行われると、無意味なだけではなく、むしろ有害な行為となることが指摘されて厳しく非難されている。宗教的行為が強調されると、信仰者の虚栄、見栄が助長される。イエスは信仰者の虚栄と見栄を厳しく戒めている。律法学者やパリサイ人たちは当時のユダヤ人社会では正しく尊敬されるべき人々であった。宗教が重要な位置を占めていたからである。キリスト者の信仰さえも人間の宗教に堕する危険が常に伴う。信仰者たる者、人から賞賛されることを期待して行うのではなく、神の御前に誠実に生きることが求められている。まさに「言うは易し、行うは難し」である。誰もが人から賞賛されたいと願うものであるから、大きな誘惑となる。

 キリスト教信仰が聖書の宗教、キリストの福音に明確に根ざすことは重要である。いつ何時人間の宗教に堕してしまうかもしれない。キリスト者にとっては人の賞賛、人の目よりも、見えない神の目を意識して神の御前に生きること、神に喜ばれることが最重要課題である。人の目を意識して、人の前だけで生きるならば、虚栄と見栄という人間からの栄誉を追求することになる。困難なのは、人は見えるが、神が見えないことである。見えない神の御前で神に喜ばれる歩みを全うすることを心がけたい。


【信仰告白】

[2] 使徒信条