「山上の説教」の始まり。いわば物見遊山の群衆を避けて、山に登り、中腹で腰掛けて弟子たちが来るのを待って語り始めている。3節〜12節で、イエスは先ず、天の御国の幸いについて説き明かしている。天の御国の幸いとは、地上での幸福とは、逆転している。「心の貧しい者」とは「霊的に貧しいことを知り尽くして、真に霊的であることを乞い願う者たち」のこと。心が豊かで、霊的にも豊かであることが地上では喜ばれることではあるが、自らの霊的状態が貧しいことを思い知ることこそ天の御国でより豊かになる道だ、とイエスは教えている。
弟子たちは、「地の塩」「世界の光」である、と。岩塩が思い描かれているが、味付けとして重要であり、体の健康にも不可欠なミネラルに他ならない。暗闇のガリラヤに輝くイエスの光を反射して輝く弟子たちの光は、隠してはならなかった。家の中を照らす灯火が台に置かれて家中を明るくするように、イエスの弟子たちの良い行いを見て、人々は父なる神を崇めることが期待されている。すべての栄光は神に帰されるべきことを忘れてはならない。