第1日曜 マタイ1:1-25



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 マタイ福音書は、イエスの系図で始まる。系図の意図は、イエスが「アブラハムの子」「ダビデの子」であることを示すためである。創世記12章から22章までのアブラハム物語の中で何度となく神はアブラハムに約束を繰り返している。アブラハムを大いなる国民にする、アブラハムが祝福の基となる、アブラハムによってすべての民族、多くの国民が祝福される、と。とりわけ、最後の約束については、旧約聖書ではほとんど成就した兆しが見られない。

 第二サムエル記7章で、ダビデ王は、神の箱(契約の箱)のために家(つまり神殿)を建てようと言い出す。神は預言者ナタンを通して、そうではなく、主がダビデのために家を建てる、ダビデの王国を確立し、ダビデの王座をとこしえまで堅く立てる、と約束した。そして、神殿建設についてはダビデではなく、跡継ぎがする、とも。歴史的には、ダビデの王国は、ソロモンの死後北王国イスラエルと南王国ユダに分裂する。そして、北王国はアッシリヤに滅ぼされ、南王国もバビロンに滅ぼされてバビロン捕囚の憂き目に会う。

 イエスがアブラハムの子、ダビデの子であることをマタイは系図から提示している。イエスこそがアブラハムへの神の約束が成就される方であり、ダビデの王座にとこしえまで座る王であることが主張されている。アブラハムからダビデまでが14代、ダビデからバビロン捕囚までが14代ということで、強調されている。14とは、完全数7の倍数であり、完全の倍を意味した。そして、マタイは福音書全体で、イエスこそが約束されたメシヤ、アブラハムの子、ダビデの子である方として描いている。

 この系図には、女性に言及がある。当時の系図には、通常、女性は名を連ねなかった。しかも、ここで言及されている女性たちは皆「曰く付き」の人たちである。タマルはユダにとっては息子の嫁であった。ラハブはエリコの遊女であった。ルツはモアブの女であった。ソロモンはダビデの子であるが、母親は「ウリヤの妻」であった。系図とは、家系・家柄が立派なことを誇示するものであるが、イエスの系図は逆である。イエスが地上に生まれたときは、まさに暗黒の時代であった。神の民、由緒ある系図さえも汚されていた!

 当時のユダヤの習慣では、正式に結婚が決まった(結婚の約束をした)時点で婚姻関係が成立する。その後、結婚式を経て同居して文字通り結婚生活が始まるが、それ以前の段階で婚約破棄をする際にも離婚手続きを経る必要があった。ユダヤの律法に従えば、ヨセフとマリヤの状況では、マリヤは姦淫罪で石打ちの刑に価した。御使いがヨセフを「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけていることは重要である。ダビデの子イエスの親権者として幼子イエスを守るという重大な責務がヨセフには課された。マリヤが聖霊によってイエスを身ごもった神の子に他ならないことが明言されている。「イエス」という名は旧約聖書のヨシュア(訳すと「主は救い」)に当たる。


【信仰告白】

[2] 使徒信条