旧約 第51週
アモス書6章~ハバクク書3章

東海 hi-b.a. スタッフ
日本長老教会 四日市キリスト教会 教会員

川北 栄子

2009年10月31日 初版

【日曜】 アモス書6章~9章

【1】 時代背景など

 紀元前750年頃、ヤロブアム2世の下で繁栄したイスラエルは、正義と公正に生きていませんでした。彼らは、自分たちが神の民として選ばれている目的を忘れ、自分の罪を深刻に受けとめず、恵みも真剣に受け取りませんでした。義の預言者アモスは、強い意志をもって社会正義を貫くために、真正面からイスラエルの不義に立ち向かっていったのです。

【2】 イスラエルに対する預言(3章1節~6章14節)の続き

 自分たちの軍事力(シオンとサマリヤは難攻不落と考えられていました)を頼み、ぜいたくに暮らしているイスラエルへのさばきの宣告です。サマリヤは破滅し、多くの人命が失われ、ぜいたくに暮らしていた者がまず捕囚の民となることが示されます。
 6章13節の「ロ・ダバル」とは「つまらぬ物」、「カルナイム」とは「角」すなわち「力」を意味します。「あなたがたの最大の達成は最大のつまらぬ物だ」という意味です。神は御怒りの道具として「一つの民」(6章14節)を準備されます。

【3】 5つの幻(7章1節~9章10節)による神の計画の啓示

 5つの幻をとおして啓示されます。

  1. いなごの幻(7章1~3節)
    幻の後、とりなしの祈りと滅ぼさないという約束があります。
  2. 火の幻(7章4~6節)
    幻の後、とりなしの祈りと滅ぼさないという約束があります。
  3. はかり縄の幻(7章7~9節)
    はかり縄ではかられるのはイスラエルの義です。とりなしの祈りや赦しの言葉が出てこないのは、神の忍耐は尽きて、イスラエルを襲う惨禍はもはや避けられないからです。
  4. 夏の果物の幻(8章1~3節)
    ついに終わりがきたと言われます。ヘブル語の言葉遊びになっています。「夏の果物」(カイツ)と「終わり」(ケーツ)。カイツを見てケーツを悟れと語られます。
  5. さばき主の幻(9章1~10節)
    イスラエルの腐敗の最たるものは宗教的な領域にあったため、主は宮の破壊を命じます。「彼らのうち、ひとりも逃げる者はなく、のがれる者もない」(9章1節)。決して逃げることのできない決定的な審判の宣告。主は、その日「主のことばを聞くことのききん」(8章11節)を送ります。その日(主の日)には、神のことばを求めてさまよい歩いても、もはや神からの啓示はなく、人は神のことばを理解する力を失っていて、その魂は満たされないのです。

【4】 慰めと回復の使信(9章11~15節)

 アモスは未来の希望でこの書を締めくくります。それは忠実な残りの者に対する慰めと回復の使信です。ダビデ王国が再建され、この世の終わりにメシアが来てダビデの位に座し、全地の王となること。神の祝福の回復、神とその民との契約関係の再確立が示されます。

【月曜】 オバデヤ書

【1】 時代背景など

 1章しかない、旧約聖書中最も短い書です。オバデヤとは「主(神)のしもべ」の意味で、ありふれた名前です。彼については、名前以外の情報がありません。
 この書の目的は、エドムの、ユダに対する仕打ちへの審判と、ユダに対する栄光を語ることです。エドム人の祖先エサウはイスラエル人の祖先ヤコブと双子の兄弟でした(創世記25章)。

【2】 エドムに対するさばき

 エドムとイスラエルは兄弟国でありながら敵対関係を続けていました。イスラエル民族の南王国ユダとその首都エルサレムが敵に侵略され、滅亡の危機に瀕しているとき、エドムは兄弟国としてユダを助ける立場にありながら、その危機をただ傍観し、エルサレムの滅亡を喜び、財宝の略奪に参加し、逃げていく人を殺害しました(11~14節)。
 エルサレムの惨禍がいつなのか、様々な説がありますが、可能性の高いものとして2つあります。
 1. ヨラム王治下(紀元前848~841年)のペリシテとアラビヤによるもの(第二歴代21章16~17)。
 2. バビロンのネブカデネザル王(紀元前605~586年)によるもの(第二列王24章以下)。
 この惨事がいつだったのかはともかく、苦しむ者に対するエドムの冷酷な態度を「同胞に対する愛の欠如」として、主は厳しく指摘し、非難します。そして主の日の到来のとき、エドムに神の審判があり、諸外国も主にさばかれるとオバデヤは預言します。イスラエルには、エドムに対する支配が約束され、時代や場所を越えた、全国民に対する主の王国の設立が宣言されます。

【3】 隣人に対するあり方

 私たちは隣人にどのような姿勢で臨んでいるでしょうか? 「愛」と反対なのは「無関心」です。この書を通して、私自身、私たちの社会、私たちの国が、隣人に対してどう行動すべきなのか問われます。

【火曜】 ヨナ書

【1】 時代背景など

 「ヨナ」とは、ヘブル語で「鳩」の意味です。人間的な良い属性(素直・純粋)の象徴と考えられます。ヨナは、真の神の言葉を預かって、人々にそれを伝える預言者でした(第二列王14章25節のヨナと同一人物)。ヨナが活躍した時代は、ヤロブアム2世の時代(紀元前790~749年)です。ヤロブアム2世は、政治的・軍事的に成功した王でしたが、聖書には主の目の前に悪を行った王として記録されています。国が豊かになればなるほど、イスラエルの民は偶像礼拝と不道徳に身をゆだね、宗教的に堕落していったのです。

【2】 異邦の民ニネベに対するメッセージ

 ヨナ書は預言者の行動の記録がメッセージとなっています。
  1. 神の宣教から逃げるヨナ(1~2章)
  2. しぶしぶ神の宣教を果たすヨナ(3~4章)
 神はヨナを召して、イスラエルの敵国アッシリアの首都ニネベに遣わし、その悪のゆえに滅ぼすことを伝えようとなさいました。しかし、ヨナは神の任務を拒絶して逃げます。神は天地を揺り動かしてヨナの行く手を阻みました。ヨナは3日3晩、大魚の腹の中で過ごし、悔い改めます。神は魚に命じてヨナを吐き出させ、再び彼を遣わしました。ヨナも今度はニネベに行き、さばきを宣告します。ニネベの人々は悔い改め、神もニネベを滅ぼすことを思い直しました。ヨナの告白した(嘆いた)とおりです。「あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直される」(4章2節)。

【3】 神の民イスラエルに対するメッセージ

 異邦人の恵みに対する鋭敏さが、イスラエル人の頑なさと対比されているゆえ、イスラエルにとってヨナ書は挑戦的です。救いへの妬みさえ掻きたてます(ローマ11章11~14節)。
 「神がニネベを、こんなにエネルギーを注いで愛し救おうとされるのなら、ましてやご自身の選んだ民イスラエルのことは、どれほどに愛しておられることだろう! 不道徳な異邦のニネベでさえ、さばきの宣告を受けて悔い改めたときに、あわれみのうちに赦され、救われたのなら、神の選びの民が、――たとえ不道徳に身をゆだね堕落していようとも―― もし悔い改めるなら、神はどれほどの恵みをもって赦してくださることだろう! イスラエルよ、帰れ!」

【水曜】 ミカ書1章~4章

【1】 預言者ミカ

 これまでに登場した預言者アモスとホセアは紀元前8世紀の中頃に、北王国イスラエルに現れた預言者です。これとほぼ同時代、20~30年遅れて、南王国ユダにイザヤとミカという2人の預言者が立ちました。
 預言者ミカはエルサレムの南西30~40kmにあるモレシュテ・ガデという海岸よりのユダの平地の村出身です。職業は農夫であったようです。ミカは田舎のモレシュテの人でした。父親の名に言及されていないことから、ミカは身分の高い人ではなかったようです(イザヤは首都エルサレム出身で高い身分にありました)。神様は様々なタイプの人、様々な社会的地位の人を預言者として立てました。

【2】 時代背景など

 1章1節にあるように、彼の預言者としての活動範囲は、ユダのヨタム王(紀元前750~732年)、アハズ王(紀元前731~716年)、ヒゼキヤ王(紀元前729~687年)の治世下です。
 この時代、イスラエル、ユダの両王国は経済的豊かさの頂点に至りましたが、霊的には最も廃退した危機的な状況でした。アハズ王は偶像を崇拝して国の宗教の純潔を乱し、その当時シリヤとイスラエルの連合軍がユダを攻めようとしたため、アッシリアの臣下となって、その保護を求めました。預言者イザヤはこの政策を、不信仰で神に対する信義を捨てるものであると責めましたが、ミカの見た罪悪は、国際政治とか軍事よりも、社会道徳の荒廃でした。

【3】 神の民へのメッセージ

 1~2章は、両王国の首都、サマリヤ(北王国)とエルサレム(南王国)へのさばきの警告です。この国、国民の罪が首都にあらわれています。北のイスラエルも南のユダも神に背いて罪を犯したために、外国の軍隊の侵入を免れないことが宣言されます。
 ミカが指摘した社会の腐敗の具体的内容を説明しているのが2章です。権力と富を握っている支配階級の罪が指摘され、さばきが示されます。2章12~13節は、さばきに耐えて残った者たちを、神が集めて解放するという預言です。この預言は、単に捕囚からの解放に留まらず、終末的な状況を指し示しています。
 ちなみに、神のさばきと憐れみが繰り返し語られ、それが波のようであるのが多くの預言書の構造です。1~2章を見ると、はじめに罪を指摘し、その後でその国民の復興を述べています。
 3章~5章も、だいたい同じ構造が見られます。
 3章1節からは、ミカの政治的支配者に対する非難です。3章5節からは、預言者に対する皮肉です。「歯でかむ物」とは食べ物のことです。食物を口にあてがわれると良い預言をし、彼ら預言者におべっかを使わない、食物をくれない者には悪い預言をする。これは偽預言者なのです。3章8節でミカは、自分は主の霊によって力を得ているから罪は罪だと指摘できると言っています。9節からは政治家と預言者を総括して言っています。
 4章10節は、ミカの預言を簡潔にまとめています。民は、自分たちの罪ゆえに今はバビロンの捕虜になっていく、どうしても滅びは来るが、悔い改めるなら、バビロンで滅びることなく、そこから救われ、連れ出される、と。

【木曜】 ミカ書5章~7章

【1】 ミカ書の構造

 前回紹介したように、預言書には特別な構造があります。ミカ書では、神のさばきが述べられた後で、神の恵み、あわれみが述べられ、それからまたさばきが述べられ、あわれみが述べられる。これが繰り返され、波打つような構造になっています。さばきと赦しが韻律的に進行します。
 ミカ書の区分方法は学者によっていろいろありますが、そのひとつとして、次の区分があります。第1部:1~2章、第2部:3~5章、第3部:6~7章。それぞれの区分の始まりは「聞け」という言葉です。この3つの区分に、さばきと赦しのリズムを見ながら、読んでみてください。

【2】 メシヤ預言とイスラエルの回復(4~5章)

 4~5章は救いの約束の預言です。
 今の苦しみは、希望のない苦しみではない(4章9~10節)。
 5章1~4節はメシヤ来臨の預言です。2節の「ベツレヘム・エフラテよ」は「東京・江戸」という感じで、同じ地名を指します。ベツレヘムはエルサレムの南8kmほどにあった小さな村です。イエス・キリストは、この預言どおりベツレヘムで生まれました(マタイ2章4~6節、ルカ2章4~7節)。5章4節にはメシヤの具体的な姿が預言されています。
 5章5~7節ではイスラエルの勝利が告げられます。そして10~15節では、神がイスラエルを回復するために必要なさばきをなさいます。敵だけでなく、神の民のなかにも絶ち滅ぼされるものがありました。それは、軍備と迷信と偶像でした。民は神ではなく、これらのものに頼ったからです。

【3】 神の求める礼拝とミカの祈り(6~7章)

 第3部(6章~7章)では、イスラエルの罪が再び取り上げられ告発されるとともに、神の恵みによる新しい時代の訪れが告げられます。
 ミカは、6章1~5節の言葉を述べて民を訴えます。それに対する民の答えが6~7節。神が民を導き、真実を尽くされたことが明らかにされた今、民は神に応答し、何をもって神を礼拝すればいいのだろうか。自分たちにできる最大限のことを尽くして神を礼拝しようという民の言葉に対して、8節がミカの言葉です。礼拝の本質は供え物をすることではない。民の宗教がそのような外形的な物質的な礼拝になっていることが問題なのである。神が人に求めておられることは「公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと」、これこそが神の求める礼拝でした。
 7章はミカの祈りです。祈りのなかにもさばきと救いが繰り返されています。ミカ書の全体の構造からみて、第1部において、当時の国際情勢から来るユダの危機を説き、その次にユダの国内における政治と宗教の腐敗を説きました。最後に、まことの神を礼拝する正しい礼拝とは何かを述べて、自分の祈りをもって結びます。
 ヘブル語でミカとは「誰が主のようであろうか」の意味です。「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです」(7章18節)。これが神の本質です。神のあわれみによる復興の希望をもって、ミカの預言は結ばれています。

【金曜】 ナホム書

【1】 時代背景など

 本書の目的は、おごり高ぶるアッシリアへのさばきの宣告です。預言者ナホムの活躍した紀元前7世紀中葉、南王国ユダは、北王国イスラエルを滅ぼした凶悪残忍なアッシリア帝国の脅威にさらされていました。アッシリアの首都ニネベは、ナホムの預言の約150年前、ヨナの宣教により国をあげて悔い改め、救われた都市でした。しかし、ナホム時代のニネベは以前よりもさらに邪悪な民で満ちていました。ナホムは、安泰を誇っていたアッシリアに向かって、ニネベの徹底的な荒廃を預言したのです。このナホムの預言から30数年後、強大な都市ニネベは、バビロン・メディア連合軍により崩壊(紀元前612年)し、今は砂漠の廃墟となっています。

【2】 神のさばき

 神は、その御顔を求め、従うすべての者には限りなく憐れみを注がれますが(1章3・7節)、逆らう者には復讐される神です。アッシリアをさばく神は、選民イスラエルの不義についても公正なさばきを下されました(1章4節)。神の慈愛と忍耐を軽んじ、真理に従わず、不義に従うすべての者に、神はご自身の怒りと裁きを下されます。私たちも例外ではありません。

【3】 神の慰め

 「あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい・・・」(3章19節)。ニネベの徹底的、絶望的な崩壊と対比させて、ナホムは、神が主により頼む者を救われるという慰め(「ナホム」は慰めという意味)をも語っているのです。
 「主は怒るのにおそく、力強い」「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる」(1章3・7節)。

【土曜】 ハバクク書

【1】 ハバクク書の主題

 本書の主題は「救い」です。2章4節後半は、新約聖書に3回も引用されていることから(ローマ1章17節、ガラテヤ3章11節、ヘブル10章38節)、「信仰」「信仰義認」が本書の中心主題であると考えることもできます。神に激しく問い続けた信仰者ハバククの姿は、ヨブに通じるものがあります。

【2】 時代背景など

 南王国ユダの王ヨシヤの治世の終わり頃、ないしはエホヤキムの治世始め頃、北王国イスラエルはアッシリヤ帝国に征服されていました。その後、アッシリヤはナホムの預言どおりに滅びました。それから、エジプトとバビロンが支配権を求めて戦った結果、バビロン(カルデヤ人)が勝利しました。今や、南王国ユダは、強大な、しかし罪深いバビロンの国に脅かされていました(紀元前609~597年頃)。この頃の南王国ユダは、暴虐と闘争、不正と不法がはびこり、霊的退廃のなかにありました。預言者エレミヤがハバククに20年も先立って「主のことば」を語ってきたにもかかわらず、民はその間、主のことばに聞きませんでした(エレミヤ25章3節)。このようななかでハバククの預言活動が行われたのでした。

【3】 神のさばき

 神は耐え難い罪にあるご自分の民(ユダ)を永遠に忍耐せず、邪悪な異邦の民カルデヤ人(バビロン)を使ってさばかれます。実際それは、紀元前606~586年にかけて、ユダヤ人のバビロン捕囚となったのでした。
 神は、残虐非道な異教徒バビロンを神の怒りのむちとして用いましたが、自分を神とし、偶像を拝み、暴虐を行ったバビロンに対しても、さばきを宣告し(2章6~19節)、紀元前537年、ペルシャ軍によって滅ぼしました。

【4】 神の救い

 神がバビロンに復讐し、エルサレムを再建する日まで、神の民はただ信仰によって生き(2章1~4節)、神が邪悪な者たちを滅ぼされ、全世界に対するハバククの訴えが世界的に認められるという神の変わらない約束を信じてその実現を待つ。神の救いが実現されるのです(3章13節)。神に信頼する者は、ハバククと共に神を喜ぶことができます。
 「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」(3章18節)

参考文献

  • クリスチャン新聞編『聖書66巻がわかる』いのちのことば社、2002年
  • 石原潔『旧約聖書概論』東宣社、2005年
  • 『実用聖書注解』いのちのことば社、1995年
  • ブランケンベイカー『イラスト早わかり聖書ガイドブック』いのちのことば社、1988年
  • 渋谷敬一/森文彦『新聖書講解シリーズ 旧約19』いのちのことば社、1988年
  • 矢内原忠雄『イザヤ書・ミカ書:矢内原忠雄未発表聖書講義』新地書房、1984年
  • 『リビングライフ』(月間QTガイド)2007年6月
  • Bruce K. Waltke, An Old Testament Theology, The Zonfervan Corporation, 2007
  • NIV Spirit of the Reformation Study Bible, The Zonfervan Corporation, 2003