旧約 第49週
エゼキエル書46章~ダニエル書12章

日本同盟基督教団 東広島めぐみ教会 牧師
加藤 勇介

2009年10月31日 初版

【日曜】 エゼキエル書46章~48章

【46章】

 引き続き、エゼキエルに示された幻について記されています。特に前章より、新しい神殿における儀式の規定について述べられています。具体的には、君主がささげる礼拝とささげ物の規定、また民がささげる礼拝とささげ物の規定、さらに相続の規定、ささげ物を調理する料理場所について、などです。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 礼拝とささげ物について、主が私たちに願い、また求めておられることはどのようなことでしょうか。
  2. 「朝ごと」にささげるささげ物についての規定から、私たちが教えられることは何でしょうか。
  3. 聖なるものと俗なるものとを区別される主の御心を黙想し、私たちの日頃の歩みを振り返ってみましょう。

【47章】

 エゼキエルは、最後の幻を見るために、最初に連れてこられた神殿の入口である外庭の東門に戻されます。そこで、神殿の敷居の下から東の方へと流れ出る水を見ました。その水はしだいに水かさを増して川となり、その川の流れて行く所では、どこでも木々が茂り、果樹が生長し、あらゆる生物が生きるのです。また後半は、イスラエルの十二部族に割り当てられる相続地の境界について記されています。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 主が与えてくださる祝福と恵みとは、どのようなものでしょうか。
  2. 聖所から流れ出る水が、すべてのものにいのちを与えることを覚えるときに、私たちが日々、祈り求めていくべきものは何でしょうか。
  3. 当時のイスラエルの民の置かれていた状態(敗戦、捕囚)を覚えるとき、具体的な相続地の割り当て(境界)を約束してくださる主は、どのようなお方でしょうか。

【48章】

 まず、47章の後半で境界が定められた相続地の分割と規定が記されています。十二部族が聖所を中心に平等の相続地を与えられ、一つのイスラエルとして回復されることが約束されています。そして最後に、新しい都の名が「主はここにおられる」であることを記します。これは、インマヌエルと同様に、永遠に変わることのない主の臨在を示し、主が確かに約束を成就してくださるお方であることを教えています。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 相続地の中央には、主の聖所がありました。私たちが常に主を中心として歩んでいくために必要なことは何でしょうか。
  2. 「主はここにおられる」とその臨在を現し、確かな回復を与えてくださる主に、信仰をもって祈っていくべきことはありませんか。
  3. 主から様々な幻(啓示)を与えられたエゼキエルの信仰と従順な姿勢について考えてみましょう。

【月曜】 ダニエル書1章~2章

【はじめに】

 ダニエル書は、ダニエルによって記されました。ダニエルは、バビロニアによる南ユダ王国の滅亡(紀元前586年、エルサレム陥落)前に、すでに第一次捕囚の民としてバビロンに連れ去られていました(紀元前605年頃)。ですから、ダニエル書はバビロン捕囚期に、捕囚先のバビロンで記されたものであり、その内容はダニエル(とその友人たち)が捕囚先のバビロンで経験した歴史的な出来事(1~6章)と、神様がダニエルに与えられたいくつかの幻(7~12章)に大別することができます。
 また、ダニエル書の特徴として、原文の一部に当時の公用語であったアラム語が用いられていることがあげられます(2章4節後半~7章28節)。このことは、ダニエルが生きた時代と当時の世界情勢がどのようなものであったかを示すとともに、その内容から、異教の国々、地上の王たちに対する特別な使信としてもとらえることができるでしょう。
 ダニエル書(特に1~6章)では、異教社会のなかで信仰者がどのように歩むべきであるのか、そして、神様はそのような信仰者をどのように守られるのかが教えられます。また、後半7~12章のいくつかの幻については、様々に解釈する立場がありますが、細部の解釈にとらわれるよりも、「まことの主権者である神の約束は必ず成就する」ということに心を向けるべきです。そして、この神の絶対的な主権と支配を信頼し、世俗の権威や迫害に打ち負かされず、信仰に立ち続ける者に、神様は最終的な勝利(救い)を与えてくださるということこそ、このダニエル書全体を通して示されるメッセージであると言えるでしょう。

【1章】

 1章の冒頭には、ダニエルが捕囚の民としてバビロンに連れ去られた時代背景とともに、ダニエル(とその友人たち)が受けた教育について記されています。ダニエルが捕囚の民となったことも、バビロンの教育を受けることになったのも、国と王の権力によるものと思われますが、すべては神様の主権のなかでの導きでした。そして、ダニエルと友人たちは、食事において神を信じる者としての信仰的態度を明確に示します。主もまた彼らを祝福し、他に並ぶ者がいないほどの知恵と知識を授けられました。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. ユダヤ人が捕囚の民としてバビロンに連れ去られることを許された主の御思いを黙想してみましょう。
  2. まだ少年だったダニエルとその友人たちが、はっきりと信仰的態度を示すことができた理由は何だと思いますか。
  3. ダニエルと友人たちに丈夫な身体、知識と知恵を授けられた主はどのようなお方でしょうか。

【2章】

 2章には、ネブカデネザル王の見た夢とダニエルによる解き明かしが記されています。自分の見た夢に対する不安と恐れで心騒ぐ王に対して、ダニエルは知恵と配慮をもって対応し、また友人たちとともに祈り求めました。神様は祈りに答え、ダニエルに夢の秘密を掲示されます。王はひれ伏し、ダニエルを高い位につけ、すばらしい贈り物を与えますが、ダニエルはすべてを明らかにしてくださった主をほめたたえ、主にすべての栄光を帰しています。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 私たちは、自分の心が騒ぐときに、どのようにして平安を得るべきでしょうか。
  2. すべての栄光を主に帰するダニエルの姿から教えられることは何でしょうか。
  3. 夢とその解き明かしを通して、主はネブカデネザル王に何を悟らせようとしたのでしょうか。

【火曜】 ダニエル書3章~4章

【3章】

 ネブカデネザル王は、自らが建てた高さ30mにも及ぶ金の像を拝むことをすべての高官に命じました。しかし、ダニエルの3人の友人(シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ)は断固としてこれを拒絶しました。彼らの信仰は、「たとえ、神が救い出されなくても」変わることがありませんでした。怒った王は彼らを燃える炉に投げ入れますが、神は彼らを守られ、救い出されます。王は彼らの信じる神をたたえ、また3人をバビロンにおいて栄えさせました。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 私たちは偶像礼拝に対して、どのような態度で臨むべきでしょうか。
  2. 3人が信じた神様を黙想してみましょう(特に18節)。
  3. この出来事前後におけるネブカデネザル王の心の動きから教えられることは何でしょうか。前の章と合わせて考えてみましょう。

【4章】

 4章では、ネブカデネザル王が自分の身に起こった出来事を振り返り、そのことを国全土に告げ知らせています。その出来事とは、王が繁栄の絶頂期に見た一つの恐ろしい夢に関することでした。そして、その夢をダニエルが解き明かし、その解き明かしどおりのことが王の身に起こります。王は人間のなかから追い出され、獣のごとくに生活したのです。しかし、その期間が終わると王は理性を取り戻し、またすべての権威と威光を回復しました。これらは、神様が下された高慢な王に対するさばきとへりくだる者へのあわれみでした。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 夢を解き明かすダニエルの態度から教えられることは何でしょうか。
  2. 夢の解き明かしを聞きながら、悟ることができなかった王の姿から教えられることは何でしょうか。
  3. 主が喜ばれる生き方について考えてみましょう。

【水曜】 ダニエル書5章~6章

【5章】

 時代は流れ、ネブカデネザルの孫、ベルシャツァル王の治世となります。王は盛大な祝宴を催し、エルサレムから取ってきた器で酒を飲み、バビロンの異教の神々をほめたたえます。このとき、王の宮殿の壁に不思議な文字が描かれ、王は恐れ惑います。ダニエルはこの文字を解き明かし、王に告げます。そして、そのことばのとおり、その夜、ベルシャツァルは殺され、王国はメディア人ダリヨスの手に渡されます。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 王母の進言から、ダニエルの生活と歩みについて教えられることは何でしょうか。
  2. 私たちは歴史から、また先祖(親)の歩みから何を学ぶべきでしょうか。
  3. ベルシャツァル王の主をも恐れぬ態度と国家の滅亡から教えられることは何でしょうか。

【6章】

 ダリヨス治世のもと、大臣と太守はダニエルを陥れるために一つの禁令を発布するよう王に願います。何も知らない王はそのことを認め、禁令を制定しました。ダニエルはそのような禁令にも関わらず、日に3度の祈りを欠かしませんでした。その結果、ダニエルは獅子の穴に投げ込まれますが、神様の守りによって救い出されます。逆に、ダニエルを訴えた者たちが獅子の穴に投げ込まれ、ダリヨス王は神を賛美しました。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. ダニエルに敵対する者たちの発言からダニエルの日ごろの姿勢について考えましょう。
  2. ダニエルに対するダリヨス王の態度から教えられることは何でしょうか。
  3. ダニエルの信じた主を黙想しましょう。

【木曜】 ダニエル書7章~8章

【7章】

 ■ 幻の内容 ■
 この章の幻は、続く8章以下との関わりと同時に、2章(ネブカデネザルの夢)とも関連しています。幻に登場する4頭の獣は、それぞれ獅子・鷲、熊、ひょう、10本の角をもつ強力な獣、として表現されています。一方、「年を経た方」「さばく方」(9・10・13節)、「人の子のような方」(13節)は、それぞれ裁き主なる神ご自身、そしてメシヤ(キリスト)を指し示しています。そして、さばく方が座に着くと(9・10節)、獣は滅ぼされ、人の子に主権と光栄と国が与えられ、諸国民はことごとく彼に仕え、その国は永遠に滅ぼされることがないのです(14節)。
 ■ 幻の解釈 ■
 ダニエルは、その幻を見て思い悩み、御使いの一人に解き明かしを願います。特に、4番目の獣について、より詳細な解き明かしを求めます。4頭の獣は4人の王(国)であり(17・23節)、4番目の獣の10の角は、この国から立つ10人の王であることが告げられます(24節)。2章、そして続く8章と重ね合わせるならば、これらの4人の王(国)は、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマと考えることができるでしょう。さらに、もう1本の小さな角(8,20節)とは、そのあとに立つ1人の王であることが明らかにされます(24節)。この王は、さきの3人の王を打ち倒し、聖徒たちをも滅ぼし尽くそうとします(25節)。聖徒たちは、神の許しのなかでしばらくの間、その王の手にゆだねられますが(25節)、やがてさばきの時が来て、王(国)は滅ぼされ、国は神の主権のもとに置かれ、聖徒はメシヤ(キリスト)とともにその国を支配することが示唆されています(27節)。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 4頭の獣に象徴される試練や試みについて、キリスト者として、現在の自分の置かれている状況で、何か重なり合うことがあるでしょうか。
  2. 幻を見たダニエルの様子(特に28節)から教えられることは何でしょうか。
  3. キリスト者に約束されている最終的な結末はどのようなものでしょうか。また、その約束を信じる者として、どのように今を生きるべきでしょうか。

【8章】

 ■ 幻の内容 ■
 この章の幻は、7章の幻の2年後に与えられました(1節)。2本の角の雄羊(3節)は、西、北、南に突き進み、高ぶっています。一方、目立った角を持つ雄やぎが現れ、雄羊を打ち滅ぼします(7節)が、著しく目立つ角は折れてしまいます。そこから目立った4つの角が生え、そのうちの1本から、また別の小さな角が芽を出し、非常に大きくなります(9節)。それは天の軍勢に達し、軍勢の長にまでのし上がり、聖所と軍勢をも踏みにじりますが、2,300の夕と朝が過ぎると、そのとき聖所はその権利を取り戻します(13~14節)。
 ■ 幻の解釈 ■
 ダニエルはこの幻を見たとき、その意味を悟りたいと願います。そのとき、人間のようにみえる者(御使いガブリエル)が「その幻は、終わりの時のことである」ことを告げ、ダニエルは、その声を聞くと意識を失い倒れますが、ガブリエルは手を取り立ち上がらせて、幻の内容を明らかにされます。
 2本の角の雄羊はメド・ペルシャ帝国を表し、より長い角はペルシャを示しています(20節)。また、雄やぎはギリシャ帝国で、著しく目立つ角はアレクサンドロス大王のことです(21節)。雄やぎは雄羊を攻撃し滅ぼしますが、角は折れ(アレクサンドロスの急死)、そこからマケドニア、シリア、メソポタミア、エジプトの分割統治(4つの角)となります。1本の小さな角は、シリアのセレウコス王朝から出るアンティオコス・エピファネスを指すと考えられます(23節)。彼は異教の祭壇を築き、常句のささげものを禁じることにより神殿を冒涜します(13節)が、2,300の夕と朝の後(朝夕の常句のささげもののこと。したがって、日数としてはその半分、約3年半ということになります)、彼は人手によらず砕かれます。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 雄やぎの大きな角は、「その強くなったときに」折れました。ここから教えられることは何でしょうか。
  2. 当時のダニエルには「秘めて」おくように命じられましたが、現代に生きる私たちは、福音の奥義をどのように証しすべきでしょうか。
  3. 「聖徒の民を滅ぼす」ほどの横暴な支配者から受ける迫害に対して、私たちはどのように備えるべきでしょうか。

【金曜】 ダニエル書9章~10章

【9章】

 ■ ダニエルの祈り(1~19節)■
 ダニエルの祈りは、ダニヨスの治世の元年でした(5章31節~6章1節参照。紀元前539年)。この年、ダニエルはエレミヤにあった主のことば(エレミヤ25章11~12節、29章10節)により、ユダヤ人のバビロン捕囚期間が70年であり、その預言が間もなく成就することを悟ります。そこでダニエルは罪の告白と悔い改めの祈りをささげます(3節以降)。ダニエルはユダヤ人が主との契約を破り、不従順であったことがバビロン捕囚の原因であることを告白するとともに、神の恵みとあわれみを求めて嘆願します(16節以降)。
 ■ 70週の幻(20~27節)■
 ダニエルが祈り、願い求めているときに、御使いガブリエルがダニエルの前に現れます。主はガブリエルを通してダニエルに一つの幻を示し、ダニエルの祈りに応えられます。「70週の幻」は、エレミヤによる「バビロン捕囚70年」の預言の上に構築された幻ということができます。70週が定められた目的は、罪を終わらせ、罪と咎を贖い、永遠の義をもたらし、すべての預言的言葉を成就し、至聖所に油を注ぐためのものです(24節)。
 70週の預言は難解であり、また解釈も様々です。最初の7週は、捕囚からの帰還と神殿、およびエルサレムの再建に関係するものと考えられます。そして「油注がれた者」「君主」(25節)であるメシヤ、キリストの到来までが62週。そしてのちに、キリストの十字架があります(「油注がれた者は絶たれ、彼には何も残らない」〔26節〕)。最後の1週については、27節の「彼」をローマ皇帝ティトスと反キリストへの言及として、紀元70年のエルサレム神殿崩壊と関連した言及とする解釈があります。また一方では、終末のユダヤ民族への言及として、キリスト再臨直前に起こる大患難時代とする解釈もあります。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. ダニエルの祈りから教えられる祈りの姿勢は何でしょうか。
  2. 私たちは先祖や国家の罪、また信仰者(教会)の罪、というものをどのように認識すべきでしょうか。
  3. 70週の幻は、聖徒たちにどのような励ましと慰めを与えるものでしょうか。

【10章】

 ペルシャの王クロスの第3年に、ダニエルに最後の幻が与えられました。このとき、すでに第一次エルサレム帰還(紀元前538年)が行われていたことがわかります。そして、依然としてバビロンに残されていたダニエルの見たこの幻は、「大きないくさ」(1節)についてでした。
 ダニエルは「ひとりの人」(5節。受肉前の御子キリスト)を見、その声を聞きますが、彼はこの幻を前に力を失い、また意識を失い倒れてしまいました。そして、一度は御子キリストの助けにより立ち上がりますが、強烈な幻のゆえに、彼は再びうつむき、何も言えなくなってしまいます(15節)。すると今度は、「人間のように見える者」(18節。同じく御子キリスト、または御使いの一人とする解釈もあります)がダニエルの唇に触れ、彼は話すことができるようになり、「わが主よ。お話ください」と、ようやく神の啓示を受け取る備えができるようになりました。そして、主はダニエルに、ペルシャ、そしてギリシャと続く戦いについて明らかにされました。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. エルサレムに帰還する人が起こされるなかで、依然としてバビロン(支配国はペルシャ)にとどめられるダニエルの思い、また、そのように導かれた神様を黙想しましょう。
  2. 幻を見、そのことばの声を聞いたときのダニエルの反応から教えられることは何でしょうか。
  3. 主のことば(特に11・12・19節)から、このときのダニエルの心境を考えてみましょう。

【土曜】 ダニエル書11章~12章

【11章】

 4節までは、ペルシャとギリシャの争いについて預言されています。特に「ひとりの勇敢な王」(3節)は、ギリシャのアレキサンダー王であると考えられます。また、19節までは、アレキサンダー王以降、分裂した4つの王国のうち、特に「南の王」(エジプト)と「北の王」(シリア)に焦点が絞られ、それぞれの歴代の王に対する詳細な預言が展開されています。旧約聖書において、特にイスラエル以外の国に対する、これほど細部にわたる預言は例を見ないことです。
 さらに、21節からはシリアの「アンティオコス・エピファネス」(21節「ひとりの卑劣な者」)の2度にわたるエジプトへの侵略が述べられ、また30節以降は、彼の神の民に対する迫害とエルサレム神殿に対する汚しについて記されています。40節以降の描写は、アンティオコス・エピファネスに対する預言であるとともに、終末における反キリストについての言及ととらえることもできます。そして最後に反キリストは滅ぼされ、神の国の最終的な勝利が約束されています。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 未来に起こる詳細な歴史的事実を確かな幻として与え、また終わりの時が来ることを宣言される主を黙想しましょう。
  2. 南北の王の争いに代表される、絶えることのないこの世の権力争いから何を教えられますか。
  3. この世の王たちによる迫害のなかで、信仰者はどのように生きるべきでしょうか。

【12章】

 「かつてなかったほどの苦難の時が来る」(1節)との宣告のなかで、しかし、いのちの書に記されている者の救いと、やがての復活が示唆されています(2節)。この箇所は、旧約聖書のなかでもっとも明確に聖徒たちの復活について述べられているところと言えます。
 5節以降は、ダニエル書のまとめとも言える箇所です。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか」(6節)、「この終わりは、どうなるのでしょう」(8節)とのダニエルの問いかけに対して、「亜麻布の衣を着た人」(6・7節。御子キリスト)は、「それは、ひと時とふた時と半時」であり、また「1,290日」(11節)、「1,335日」(12節)であると、その苦難と試練の期間に確かな終わりがあることを宣言されます。そして、ダニエルに対して「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当て地に立つ」(13節)と、ダニエルに与えられた確かな安息と報いを言い渡されます。
 ■ 黙想の視点 ■

  1. 復活の預言は、ダニエルをはじめ、イスラエルの民にとってどのような励ましとなったでしょうか。
  2. 私たちは「かつてなかったほどの苦難の時」にどのように備えるべきでしょうか。また、終わりの時を覚えて忍耐するべきことは何でしょうか。
  3. 人生の真の幸いとは何でしょうか。主が約束されている終わりの日の祝福について黙想しましょう。