旧約 第35週 詩篇113篇~144篇
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日本聖約キリスト教団
南輝聖約キリスト教会 牧師
広江聖約キリスト教会 牧師
ユースセンター牛窓 管理者
吉岡 創
2009年10月31日 初版
【日曜】 詩篇113篇~118篇 「身を低くしてくださる神」
113~118篇は「ハレルヤ*1 詩篇」と呼ばれ、現代でもユダヤ教の祭りの多くで朗読されています。またキリスト教会においてもイースター*2 の夕礼拝で用いられてきました(113・114・118篇)。
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【113篇】
羽鳥氏は、この詩篇を「灰捨て場の福音」と呼びました。「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ」(7節)、身を低くして救ってくださる神様に感謝し、賛美の叫びをあげるのです。「ハレルヤ!」と。
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【114篇】
この詩篇の主題は「出エジプト」と言われています。「海は見て逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れ」(3節)、あろうはずのないと思われることが、神様によって起こります。こういった奇跡を信じることのできない根本には、「岩」(8節)のように堅い心があるのかもしれません。
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【115篇】
過越の食事*3 の終わりに歌われた詩篇です。偶像とそれを造り信頼する者のあわれ、そして生ける神である主*4 を信頼することのすばらしさが記されています。
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【116篇】
聖公会*5 では、出産後の感謝式でこの詩篇が読まれたそうです。苦しみのむこうにあるいのち、悩みのむこうある救い、困難を通った信仰者は叫びます。「ハレルヤ!」と。
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【117篇】
学生時代、この詩篇は「最も小さく、最も大きい歌である」と学びました。文章としては最も短い詩篇ですが、その意味するところは全世界「すべての国々」「すべての民」(1節)を巻き込む大賛美です。ハレルヤ!
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【118篇】
この詩篇は、宗教改革者ルター*6 の愛唱詩篇として知られています。「おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた」(13節)。人ではない神様の助けを歌い、25節以降は、メシヤ*7 の到来を求める祈りとなっています。
【注】
*1 ヘブル語で「神をほめたたえる」の意。
*2 復活節のこと。イエス・キリストの復活を記念する日。
*3 ユダヤ教三大祭の1つ。詳しくは出エジプト記12章1~14節を見よ。
*4 新改訳で太字の「主」と訳される主の御名。原語「יְהוָה」の発音は不明で、「ヤハウェ」など諸説ある。
*5 イギリス国教会(プロテスタント:新教)
*6 Martin Luther (1483-1546)
*7 へブル語で「油注がれた者」の意。救い主を指す。
【月曜】 詩篇119篇1~88節 「みことば賛歌(上)」
119篇は、詩篇のなかで最も長く、「アルファベット*1 賛歌」の形で記されています。つまり、8節をひとまとまりとした「いろは歌」です。著者の人柄を表す言葉も散在しており、まとめるならば、君主たちに仕え、いのちを脅かすほどの迫害に遭い、多くの師から教えを受け、若者を教える立場にある者でした*2。彼は、その巧みな技法を用いて「神様のみことば」を賛美し、そのみおしえを守り、仕えることを勧めています*3。以下、各段落のアルファベットと、キーワードと思われる言葉を記しますので、通読の一助としていただければ幸いです。
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「א」(アレフ) 1~8節
「幸いなこと」(1・2節)を記しています。
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「ב」(ベース) 9~16節
若者(9節)へのメッセージを記しています。
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「ג」(ギッメル) 17~24節
信仰者は「地では旅人」「宿り人」(19節)*4 であることを記しています。
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「ד」(ダレス) 25~32節
私の道でなく、「仰せの道」「従う道」(32節)を歩むことを記しています。
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「ה」(ヘー) 33~40節
「あなたの道」(37節)にしたがい、私を生かしてくださいという願いを記しています。
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「ו」(ヴァウ) 41~48節
みことばへの信頼とみおしえへの「愛」(47・48節)を記しています。
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「ז」(ザイン) 49~56節
「悪者」「逆らう者」(53節)の存在も、信仰者をみことばへ向けることを記しています。
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「ח」(ヘット) 57~64節
天にある受ける分と、地にある「恵み」「慈しみ」(64節)を記しています。
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「ט」(テッス) 65~72節
苦しみを通して得る「しあわせ」「良いこと」(71節)を記しています。
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「י」(ヨッド) 73~80節
信仰者の心が「全きもの」「無垢」(80節)とされるという願いを記しています。
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「כ」(カフ) 81~88節
信仰者は「恵み」「慈しみ」(88節)によって生かされることを記しています。
【注】
*1 へブル語のアルファベットは22文字あり、この詩篇は、8節×22文字=176節で記されている。
*2 詳しくは、後掲の参考文献一覧にある『新聖書注解 旧約3』を参照。
*3 詳しくは、後掲の参考文献一覧にある『詩篇を味わう III』を参照。
*4 同じ原語で異なる訳語の場合に、「新改訳」「新共同訳」という形式で併記した。以下同様。
【火曜】 詩篇119篇89~176節 「みことば賛歌(下)」
119篇後半となります。続けて各段落のアルファベットとキーワードを記します。
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「ל」(ラメド) 89~96節
私は「あなたのもの」(94節)そしてみことばは高く広いことを記しています。
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「מ」(メム) 97~104節
「あなたの仰せ」(98節)が、とこしえに、私のものであることを記しています。
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「נ」(ヌン) 105~112節
みことばが「私の足のともしび、私の道の光」(105節)であることを記しています。
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「ס」(サメク) 113~120節
悪者との戦いと、「隠れ場」「隠れが」(114節)である神様を記しています。
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「ע」(アイン) 121~128節
信仰者の「保証人」(122節)となられる神様を記しています。
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「פ」(ペー) 129~136節
罪の支配ではなく、みことばの「光」(130節)による歩みを記しています。
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「צ」(ツァディー) 137~144節
「敵」(139節)はみことばを忘れ、信仰者はこれを愛すことを記しています。
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「ק」(コフ) 145~152節
一日中「近く」(151節)いてくださる神様のことを記しています。
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「ר」(レーシュ) 153~160節
神様のあわれみと、「義のさばき」「正しい裁き」(160節)を記しています。
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「ש」(シン) 161~168節
信仰者の道がすべて神様の「御前」(168節)にあることを記しています。
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「ל」(タウ) 169~176節
みことばとみおしえによって「私のたましい」(175節)が生きて、神様を賛美し、神様の「さばき」(175節)が信仰者の助けとなることを記しています。
【水曜】 詩篇120篇~128篇 「歌いつつ歩む(上)」
120~134篇の15の詩篇は「都上り*1 の歌」と呼ばれ、神殿のあるエルサレムへ向かう「巡礼歌」として歌われた詩篇と考えられています。また、ユダヤの言い伝えによれば「階段の歌」(神殿の階段*2 を一段上がるごとに歌われた詩篇)ともいわれています。以下、キーワードを紹介します。
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【120篇】
「えにしだ」(4節)は、良質の木炭となる灌木です。
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【121篇】
「山」(1節)は、エルサレムの位置するシオン山のことです。
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【122篇】
「主の家」(1節)は、神殿を指します。
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【123篇】
「手」(2節)は人の利害を表します。信仰者の目は、人の手ではなく神様に向けられるのです。
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【124篇】
「大水」(4節)は、しばしば苦しみを表します。
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【125篇】
「杖」「笏」(3節)は、ときとして支配を表します。
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【126篇】
「繁栄」「捕われ人を連れ帰る」(1節)は、七十人訳聖書*3 では「捕虜」と訳されています。
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【127篇】
「矢」(4・5節)は、戦いに耐えるようになった男子を指します。両親にとって心強い味方です。
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【128篇】
「ぶどうの木」(3節)は、神様の祝福を表します。「オリーブ」(3節)は、命と力を表します。
【注】
*1 ユダヤ教三大祭(過越の祭・七週の祭・仮庵の祭)にあわせ、神の都エルサレムに上った。
*2 ゼルバベルの再建した第二神殿を指し、この神殿には15段の階段があった。
*3 旧約聖書のギリシャ語古代訳。
【木曜】 詩篇129篇~135篇 「歌いつつ歩む(下)」
134篇までは「都上りの歌」が続きます。続けて、キーワードを紹介します。
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【129篇】
「綱」「束縛」(4節)は支配を表します。奴隷や捕囚といったことを表します。
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【130篇】
「深い淵」(1節)は、長期間もしくは危機的な苦難を表します。
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【131篇】
「乳離れした子」「幼子」(2節)は、まだ親の手が必要な3~4才の子どもを指します。
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【132篇】
「箱」(8節)は、契約の箱*1 を指します(出エジプト25章10~22節)。
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【133篇】
「油」(2節)は、聖なるそそぎの油を指す(出エジプト30章22~33節)。
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【134篇】
「夜ごと」(1節)は、夜間にその務めを果たした祭司などの神殿聖職者を表します。
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【135篇】
再び「ハレルヤ詩篇」*2 が登場します。この詩篇を味わう鍵は「御名」(1・3・13節)にある、と鍋谷氏は言います。神賛美、イスラエルの選び、創造のわざ、救済の歴史、御名と信仰者(神賛美)、偶像批判、神賛美と進む展開のなかで、御名が繰り返しほめたたえられます。神賛美こそ、信仰生活の中心にあるべき姿です。
【注】
*1 「主の箱」「あかしの箱」とも呼ばれる。箱の中には、マナ(マンナ)の入った金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の2つの板があった(へブル9章4節)。
*2 諸説あるが、ユダヤ教のタルムード(口伝律法)では、この135・136篇を「大ハレル」(ハレルは「ほめたたえよ」の意)として礼拝で用い、113~118篇、146~150篇をただの「ハレル」とした。113~118篇は祭りで用いられ、146~150篇は朝の祈りで用いられたようである(参照:後掲『新聖書注解 旧約3』)。
【金曜】 詩篇136篇~139篇 「その恵みはとこしえまで」
ハレルヤ詩篇であり交唱歌*1 として知られる136篇、バビロン捕囚後に歌われたとされる137篇、そして続く138~145篇は「ダビデ*2 の詩篇」として知られています。
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【136篇】
「その恵みはとこしえまで」「慈しみはとこしえに」と計26回繰り返され、歌い交わされる賛美です。4節以降の日本語で「・・・方に」と訳された表現には、神様が「行為されるお方であること」が強調されていると鍋谷氏は言います。美しい歌のなかに、生きてお働きになる神様の姿を見ます。
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【137篇】
バビロン捕囚を思って泣き(1~3節)、エルサレムを思って回復を願い(4~6節)、敵への報復を神様にゆだねる(7~9節)詩篇です。全体に流れる悲哀が重く響きます。
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【138篇】
「天使たち」「神」(1節)は、神々とも訳すことができ「異教の神々」を指します。地のすべての王たちが「主の道について歌う」(5節)とは、すばらしい出来事です。低くされている者を顧みてくださる神様の御名と、その御手のわざに感謝と賛美をささげています。
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【139篇】
神様のお持ちである特質と信仰者の祈りが語られています。全知(1~6節)・遍在(7~12節)・全能(13~18節)です。そして、信仰者は、すべてをご存知の神様に身をゆだね、「とこしえの道」(24節)への導きを祈り求めています(19~24節)。
【注】
*1 聖歌隊と会衆、もしくは奉仕者が二手に分かれ、交互に歌う歌。
*2 イスラエル王国2代目の王
【土曜】 詩篇140篇~144篇 「私はあなたのしもべですから」
「ダビデの詩篇」が続きます。特に140~143篇は内容が似通っており、信仰者の「悪者や罪からの救い」を祈っています。144篇は他の詩篇との共通点が多く、詩篇のメドレーのような歌になっています。
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【140篇】
「セラ」*1 が3回記され、詩篇を4つの部分に分けています。よこしまな者が悪を企んで罠を仕掛けるそのなかで、信仰者は直接神様に申し上げます。「神様のさばきが行われ、直ぐな(正しい)人が、神様の御前に住むことを私は知っています」と。
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【141篇】
「急いでください」「速やかに」(1節)と、緊急の願いを神様にします。それは、信仰者の心が悪に向かず、正しい者の戒めを受け入れ、悪者がさばかれるようにとの緊迫した祈りなのです。
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【142篇】
マスキール*2 であり、祈りである詩篇です。この詩篇は全体を通し、信仰者の叫びに満ちています。「右」(4節*3)とは、主権・力・保護者・弁護人を表しますが、信仰者のそばには誰もいません。それで、声をあげ祈るのです。「御名に感謝することができるように」と。
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【143篇】
「悔い改めの七詩篇」(6・32・38・51・102・130・143篇)の1つです。また「セラ」(6節)も出てきます。全体を通し、信仰者の「霊とたましい」が危機的状況にあります。長く敵と対峙するなかで、自らの信仰が萎えてしまったのでしょう。ゆえに、救いを祈りつつ、悔い改めているのです。
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【144篇】
8・18・33篇との重複が見られます。そのため「詩篇のメドレー」のような歌となっています。全体としては、「ほむべきかな」「たたえよ」(1節)で始まり、「幸いなこと」(15節)の繰り返しで終わる神賛美と告白に包まれた美しい詩篇です。
【注】
*1 へブル語で「上げる」を意味しているが、何を表しているのか、わかっていない。旋律の変化、音楽の休止、演奏者の暗号など、諸説がある。
*2 へブル語で「教示する」の意。教育的な歌とされるが、はっきりと意味はわかっていない。
*3 新共同訳では5節。
参考文献
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榊原康夫「詩篇90~150篇」『新聖書注解 旧約3』いのちのことば社、1975年
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富井悠夫「詩篇」『新実用聖書注解』いのちのことば社、2008年
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鍋谷堯爾『詩篇を味わう III』いのちのことば社、2007年
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羽鳥明『今日の詩篇 明日の詩篇』(デイリー・グレース・シリーズ4)いのちのことば社、2000年
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『新聖書辞典』いのちのことば社、1985年
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『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年
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