旧約 第29週 エステル記6章~ヨブ記18章
BibleStyle.com
日本同盟基督教団
大井教会 伝道師
竹内 智之
2009年10月31日 初版
【日曜】 エステル記6章~10章
小学生のころ、眠れない私に母がかけてくれた言葉を思い出します。「眠れないなら、聖書を読みなさい」。私は、その言葉を聞いて、新約聖書マタイの福音書を読んで、イエス様が行った事柄を新発見した記憶があります。
1節に「王は眠れなかったので・・・」とあるように、これは神様が王様に真実を知らしめるために睡眠を与えなかったのであります。まさに、神の摂理と言えるでしょう。
このことによって王様は、自分の国で起こった事実と、これから起ころうとしている事実を知ることになりました。それは、モルデカイの功績とハマンのユダヤ人虐殺という計画であります。
また、同胞に対する王妃エステルの献身的な行動により、ユダヤ人は虐殺されることなく、恐れと不安と悲しみの生活から一転して、光と喜びと楽しみと栄誉を受ける生活へと変わりました。
エステルが王様に泣きながら嘆願したように、私たちも神様に心から願い求めるとき、神様は私たちにとって必要なものを与えてくださいます。まさに、悲しみが喜びに、喪の日が祝福に変わった日(プリムの日)を迎えることができるのであります。
【月曜】 ヨブ記1章~3章
【1章】
この章で覚えたいことは、「試練は神の許可のうちに出ている」ということです。
試練は受けたくないものであります。
しかし、悪魔は、容赦なく信仰者に試練を与えて、信仰から離そうとしてきます。
しかし、この試練は、神様の許可なくして行われることではありません(ルカ22章31~32節)。
【2章】
この章で覚えたいことは、「あなたは、いつまで主を信じますか?」ということです。
ヨブは、2回目の試練を悪魔から受けました。それは、重い皮膚病にかかる試練でした。
ヨブの妻は「神をのろって死になさい」と誘惑してきました。これは悪魔が言わせている言葉です。
しかし、ヨブは、信仰を捨てませんでした。
10節のヨブの発言を我が発言とできるよう、信仰の成長を願うものです。
【3章】
ヨブは、痛みと苦しみの限界からか、自分が生まれた日のこと、自分が母胎から生きて出てきたことを嘆いています。彼の痛みと苦しみが、どれほどのものであったかをうかがい知ります。
しかし、彼の信仰に教えられることは、ヨブは決して死(自殺)を選択することなく、神様への嘆き、神様との対話を選択していることです。
私たちは、極限状態に陥ったとき、神様にその悲痛な気持ちをぶつけているでしょうか。神様は、受けとめてくださるお方であります。
【火曜】 ヨブ記4章~6章
【4章、5章】
痛々しいヨブを目の前にして、何も語ることのできなかった3人の友人のひとり、テマン人エリファズが、ヨブに対して意見を述べます。
エリファズは、ヨブに人の助言を聞く余裕がないのを承知のうえで、「かつて多くの人を訓戒し、心くじけた人を力づけたのに、どうして自分が苦難に遭うとくじけてしまうのか」と、問いただします。そして、「不幸には必ず原因がある。罪を犯した者が不幸を報いとして受けるのだ」と、いわゆる因果応報の法則を一般的に述べます。
しかし、少なくともヨブの場合には、この法則は当てはまりませんでした。それにもかかわらず、エリファズの言葉は、ヨブの不幸の原因が彼の罪であることを暗示していたので、ヨブには非常に乱暴な言葉となりました。
私たちも、人に対して意見・アドバイスを述べるとき、「正論だけ」を述べていないでしょうか。その人の心の状態や抱えている問題などを正しく捉えたうえで、正論でストレートに言葉をかけるのではなく、その人の立場になって言葉をかけてあげる必要があるのではないでしょうか。
【6章】
ヨブは友人エリファズの意見に激しく反発しつつも、最後24節から「本当に私の痛みと向き合って、私と一緒に考えてくれ」と助けを求めます。苦しみのなかにありつつも、ヨブの遜った言動・姿勢には、教えられます。
【水曜】 ヨブ記7章~9章
【7章】
ヨブは、友人に対しての答えから、神様に対して、神様に目を向けて答えています。神様に目を向けて「嘆き訴え」ています。
ヨブの嘆き訴えで注目すべき点は20節の言葉でしょう。「自ら罪を犯したかもしれない。しかし、何の罪を犯したかがわからない」。このような訴えは、忍耐が生じることでしょう。しかし、求め祈り続けるときに、神様は教えてくださるお方であります。
【8章】
ヨブの友人のひとり、シュアハ人ビルダデが、ヨブに対して意見を述べます。「神様は正義を貫かれる方だから、あなたの子どもたちが罪を犯して、苦難にあったとしても、ヨブが熱心に、かつ純粋な心で神様にあわれみを請うなら、神様はすぐにヨブの家を回復し、繁栄させてくださる」と。
【9章】
ヨブは、「神様が自然を支配されている」というビルダデの意見に同意します。そのうえで、はっきりと「自分は潔白だ」と訴えます。ただし、「自分自身がわからない」とも告白します。
ヨブは、信仰の迷走状態に陥り、精神的にも深刻な状況を迎えてしまっているように思えます。
【木曜】 ヨブ記10章~12章
【10章】
引き続き、ヨブは神様に「嘆き叫びの祈り」を祈ります。
18~22節から、ヨブの信仰状態・精神状況をうかがえます。このときのヨブは、暗黒の世界への恐怖を抱くよりも、それを静かに無感動に見つめているように思えます。ヨブのたましいそのものが、よみのように暗く低くなっているのかもしれません。
【11章】
ヨブの「嘆き叫びの祈り」を聞いていた3人目の友人、ナアマ人ツォファルが、口を開きました。
ツォファルは、ヨブの祈りのうちの、「私の主張は純粋だ。あなたの目にも、きよい」という言葉を聞いて、その考えは間違っているとストレートに指摘します。
しかしヨブは、自分にまったく罪がないと主張していたわけではなく、罪を認めつつも、信頼してやまない神様がその罪のためにこんな苦難・試練を与えられるとはどうしても信じられなかったのです。
ツォファルも、ヨブの問題をわからず、正論を語り、的外れな非難をしていました。
【12章】
ヨブは、3人の友人に対して「あなたがたは人だ」と指摘します。すなわち、彼らの知恵が人間の知恵に過ぎないこと、人間とともに死に絶える知恵であることを指摘したのです。このときのヨブにとって、人の知恵は、少しも問題の解決にはならなかったのです。
確かに、私たちは人の言葉や知恵で助けられることもありますし、励まされることもあります。しかし、ときに傷つくこともあれば、失望を覚えることもあります。人間の言葉や知恵には限界があります。しかし、神様のことばと知恵は、人を生かす力があり、人を変える力があります。私たちは、その言葉と知恵に支えられる必要があるでしょう。
【金曜】 ヨブ記13章~15章
【13章】
前半では、ヨブが3人の友人に対して、「私は、すでにあなたがたの知識を知っている。私の語りたい相手は神様なんだ。黙って聞いていてくれないか」と注文します。
私たちは、主と語り合おうとしている相手の妨げになっていないでしょうか。相手の話に耳を傾けているでしょうか。聞くということは、忍耐が必要です。
後半では、神様に対して、「あなたの手を私の上から遠ざけてください。そして、私をおびえさせないでください」と注文します。「自由に語らせてください」という切なる願いであります。
【14章】
ヨブは、人生のはかなさを神様に訴えています。生の短さについて述べています。「人の命は短く、心がかき乱されることで一杯で、花のように咲いては、影のように消えていくのだから、神様の目を私からそらせて自由にしてほしい。そうすれば、その日だけでも楽しむことができるだろう」と。
苦しみから解放されたかった正直な気持が、ひしひしと伝わってきます。
【15章】
友人のテマン人エリファズが、2度目の意見を述べます。前回の冷静で紳士的な話し方から一転して、感情的になっています。「無益なことば」「無益な論法」と責め立て、「あなたは信仰を捨てている」とまで述べました。自分の知恵に頼り過ぎて、ヨブの心中を察することなく、的外れな忠告になっているように思います。
私たちは、相手のことを理解して適切なことばをかけているでしょうか。また、自分が知恵ある者と思っていないでしょうか。
【土曜】 ヨブ記16章~18章
【16章】
エリファズに対する2度目の答えです。一言で言えば「もういい加減にしてくれ」という嘆きです。友人の口から出る言葉で、ヨブは慰めを得ることはできませんでした。
最後の箇所に、ヨブの信仰の変化、ことばの変化を見ることができます。そこには、「保証人のとりなし」と「神の正しいさばき」に対する期待を見ることができます。
【17章】
ヨブは、再び目を自分の周りにやり、自分の悲惨を嘆いている。しかし、望みを失わずに神様に向かって祈っている。16章の告白にもかかわらず、再びヨブの心は暗く沈んでいきます。神様に見捨てられ、人々の物笑いとなり、悲しみのために目もかすみ、死を間近に感じながら自問します。
【18章】
シュアハ人ビルダデが、2度目の意見を述べます。彼は持論を述べ、「悪を行う者は、その家の光が暗くなり、自分から罠にかかり、恐怖に脅かされ、精力が衰え、非業の死を遂げ、よみの支配者の下へ追いやられる」と、ヨブを責めます。論理的で単純明快な因果応報説を繰り返します。同情し、思いやるどころか、「自分はヨブのような者とは違う」と切り捨てるような感じがしてなりません。
参考文献
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鈴木昌「エステル記」『実用聖書注解』いのちのことば社、1995年
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鷹取裕成「ヨブ記」『実用聖書注解』いのちのことば社、1995年
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大山武俊「エステル記」『新聖書注解 旧約2』いのちのことば社、1977年
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安田吉三郎「ヨブ記」『新聖書注解 旧約3』いのちのことば社、1975年
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