旧約 第28週 ネヘミヤ記3章~エステル記5章
BibleStyle.com
キリスト者学生会(KGK)
東海地区 主事
吉澤 慎也
2009年10月31日 初版
【日曜】 ネヘミヤ記3章~4章
【3章】
ネヘミヤは組織作りにも卓越した才能を発揮しました。彼はユダの各地からあらゆる階層の人々を募ります。実際、祭司、レビ人、地区の有力者の息子、商人、金細工人、香料作りなど、あらゆる層の人たちが城壁の建設に参加しました。名前を挙げられているのは有力な人々であったようです。各人は競争心や嫉妬を抱くことなく、喜んで自分の役割を受け入れ仕事をしたことでしょう。
さらに、敵の妨害が予想されるため、建設の時間はなるべく短縮する必要がありました。そこでネヘミヤは人々をグループに分け、城壁の各箇所で同時に作業を行うようにしました。その結果、建設工事はエルサレムの周囲の至るところですさまじい早さで一斉に進行していったのです。素晴らしいリーダーシップとチームワーク。自分の仕事がいかに全体に貢献するかを理解している、という姿勢は、私たちも見習いたいものです。
【4章】
突如としてエルサレムで城壁再建の集中工事が開始されたため、周囲の人たちからの反対、妨害運動が起きてきました。ホロン人サヌバラテ、アモン人トビヤのような勢力ある指導者たちが、真っ先にネヘミヤたちを非難し始めます。エルサレムが強化されると彼ら周辺諸民族が不利益を被ることになるからです。
はじめ、彼らはユダヤ人の力をみくびり、この大事業を完成させることなどできないだろうとあざけっていました。しかし工事が急ピッチで進行しているのを見ると、いよいよエルサレムの直接攻撃を計画します。そこでネヘミヤはその陰謀を知ると、神様に祈り、見張りを日夜配置することにしました。
しかし、それでも民の気力は低下していきます。ネヘミヤはさらに民を励まし、工事を中断することなく警備を二交代制にし、万全の備えをしました。ここに、厳しさのなかでも全力を尽くすネヘミヤとユダヤ人の姿がうかがえます。ネヘミヤの祈り、信仰、勇気、勤勉さ、そして彼の見事な手腕を見ると、ネヘミヤがこのことのために神様から召された器だということがよく分かります。
【月曜】 ネヘミヤ記5章~6章
【5章】
外部の敵に対する戦いにおいては一致した姿勢を見せた民でしたが、内部には様々な問題があり、不一致の危機を抱えていました。城壁再建のための民族総動員の動きが、民のなかの貧しい人たちに経済的な困難をもたらしていたのです。城壁の再建に参加しながら、自分たちが食べていくための生活費をどう稼ぐか、どう税金や利息を払い、家族を養うかなど、深刻な問題でした。ある人は累積する借金のために子どもを奴隷として売らなければならない窮状を訴え、またある人は自分たちの畑やぶどう畑も他人のものになってしまったと抗議の声をあげました。
ネヘミヤは事柄の重大性を重く受けとめ、熟慮したうえで大会を開きました。そしておもだった者たちや代表者たちに対し、彼らが自己の利益を優先し共同体の重要性に目を向けていないことを非難しました。正義とあわれみ、神への恐れを訴えるネヘミヤは、貧しい人々の負債を帳消しにすることを宣言します。そして民もそれを約束し、そのとおりに実行したのです。それだけでなくネヘミヤは、12年間、総督としての手当ても受けませんでした。彼のこの建設的な批判精神と献身的な態度には、指導者のあり方として大いに学ぶべきものがあります。
【6章】
城壁も完成間近になり、敵たちは謀略をもってネヘミヤを亡き者にしようとします。彼らはある村にネヘミヤをおびき出し、そこで彼の命を奪おうと、再三にわたって試みました。しかしネヘミヤは、神様に祈りつつ、それらを退けます。すると敵たちは、次に預言者シェマヤを使ってネヘミヤを神殿の中に誘い込もうとします。祭司ではないネヘミヤにとっては(もし彼が宦官だったとすればなおさら)、神殿に入ること自体が罪を犯すことになるからです。ネヘミヤはこの巧妙なわなをも見破り、その誘いに乗らず危機を切り抜けます。信仰によるネヘミヤの勇気と賢明さをここにも見ることができます。
こうして幾多の障害を乗り越えて、城壁と門はたったの52日間で再建されました。城壁の完成は、神様により頼むネヘミヤの信仰と卓越した指導力、また民への誠実さによって勝ち得た勝利でした。そしてその背後に神様の御手が確かにあったことが分かります。しかし、ユダヤの民の上層部はサマリヤ人と固く結び付いており、ネヘミヤは民の宗教改革という、より困難な事業へと踏み出さねばなりませんでした。
【火曜】 ネヘミヤ記7章~8章
【7章】
城壁が再建されたエルサレムの町に新たな秩序を確立するため、ネヘミヤは人を任命し指示を与えます。そしてネヘミヤは、人口不足の問題に取り組み、人口調査を行う決心をしました。その段階で、約100年前にエルサレムに帰還した人々の系図を発見します。この帰還者リストはエズラ記2章のリストとほとんど同じものです。
【8章】
8章では、律法朗読とそれに伴う事柄が報告されます。城壁が完成したのは、エルルの月、すなわち第6の月の25日ですが(6章15節)、次の第7の月は、ユダヤ人にとって大切な祭りが並んでいる月でした。第7の月の第1日は、政治歴の年の初めで、ラッパを吹き鳴らして聖なる会合を開く日と定められていました。また第15日から一週間は仮庵の祭り、そして第22日はきよめの集会となっていました。
その第7の月の第1日が近づくと、民はみな集ってきました。そしてその日、祭司であり学者でもあるエズラが律法を朗読しました。エズラは城壁建設中どこにいたのでしょうか。もしかしたら学校で律法の研究と教育に専念していたのかもしれません。律法はヘブル語で記されており、彼らはそれに耳を傾けました。しかし多くの人たちはヘブル語を理解できなかったと思われます。そこでレビ人が律法を解き明かしたのでしょう。それはアラム語への通訳か、アラム語での説明だったかもしれません。人々は読まれた律法を理解しました。そしてその結果、自分たちの罪を示されていきます。聖書の朗読を中心にした今日のプロテスタント教会の礼拝の原型を、ここに見ることができます。民はみな教えられたことを理解して、大いに喜びました。
さらに彼らは仮庵の祭りの正しい守り方を律法のなかに発見しました。そして捕囚から帰った全集団は、仮庵の祭りを忠実に行い、そこでは律法が毎日朗読されました。律法を守ることにおいては、個人的な事柄よりもむしろ共同体の祭りがまず実行に移されたのです。ここには注目すべき真理があります。信仰は共同体の礼拝によって育成されていくものなのです。
【水曜】 ネヘミヤ記9章~11章
【9章】
神の律法の書が読まれ、仮庵の祭り、きよめの集会も終えたその2日後の24日、イスラエル人は罪の告白のために集りました。彼らが律法に耳を傾けたとき、そこに必然的に悔い改めの心が与えられたのです。昼の4分の1とは、おそらく12時間の4分の1、すなわち3時間を律法の朗読、3時間を告白の祈りに用いたのでしょう。
ここに記された祈りは旧約聖書のなかでも最も長い祈りの一つです。6節から31節までにイスラエルの民の救済の歴史が述べられています。そこには、創造主である神への賛美、アブラハムの選びと契約、エジプトからの贖いとシナイ契約、荒野における試練、約束の地における民の罪と背信の歴史が述べられています。このような歴史をとおして、イスラエルの民の背信や反逆にもかかわらず、神様のあわれみの御手が差し伸べられ続けたことがわかります。32節から37節までは、罪を告白し神様のあわれみを求める祈りです。この祈りは民が新たな出発をすることを決意するための祈りでもありました。
【10章】
罪の告白と悔い改めの祈りをした後、民は律法を守り神様に従って生きることの堅い盟約を結び、それを書き記しました。ここにはまず、その盟約に印を押した人たちの名前のリストが記されています。
また盟約の内容は、以下の7項目に整理されます。(1) 雑婚の禁止、(2) 安息日を守る、(3) 安息年の規定を守る、(4) 神殿祭儀の維持のためのささげ物の規定、(5) 祭壇用のたきぎのささげ物の規定、(6) 収穫物の初なり及び動物の初子のささげ物の規定、(7) 10分の1のささげ物に関する規定。最後の一文には、これまでの自己中心の生き方への決別の決意が込められており、盟約を結ぶ文としてふさわしいものです。
【11章】
エルサレムの人口不足は、くじ引きによって、エルサレムの外に住むユダヤ人が十人に一人の割合でエルサレムに住むことで調整されました。おそらくエルサレムに住むことは不利な条件下に置かれることだったのでしょう。11章前半にエルサレムの居住者のリストが、後半に他の町々の居住者のリストが記されていますが、重点は前者の方にあります。神様が置いてくださるところがたとえ不本意であったとしても、そこで忠実に生きたいものです。
【木曜】 ネヘミヤ記12章~13章
【12章】
城壁の再建が終わり、民の宗教生活の基本的な枠組みも設定され、いよいよ城壁の奉献式が盛大に行われます。その前に祭司・レビ人のリストが置かれているのは、礼拝や祭りを司る人々の重要性を示しているのでしょう。
ついに城壁を神様にささげる日がやってきました。まず準備として人々と城壁と門とがきよめられます。そして奉献式のプログラムのなかでも圧巻なのは、二組の聖歌隊による城壁一周の行進でした。それはまことに城壁の完成を象徴するにふさわしい行事だったと言えます。二組の聖歌隊は神の宮で一つとなり、それに女や子どもたちも加わって神殿の広場での大賛美、大合唱が行われました。その喜びの歌はエルサレムから遠くの地まで聞こえました。
城壁の奉献式は、大きな喜びに包まれて終わります。ネヘミヤの帰還に始まって城壁再建工事の開始とその完成、そして奉献式に至るまでの波瀾に富んだ日々の後に、平凡な生活の繰り返しという日常がやってきました。民はその平凡な日々のなかで、喜びをもって信仰生活を継続するという次なる戦いに出発していったのです。
【13章】
城壁再建と民の再出発というネヘミヤの目的は果たされました。13章には、その後の付加的挿話がいくつか記されています。それらは城壁が完成してから十数年後の出来事で、民のなかに残されていた次のような悪癖の改革でした。(1) 混血者の分離(1~3節)、(2) トビヤの追放(4~9節)、(3) レビ人の処遇の解決(10~14節)、(4) 安息日の厳守(15~22節)、(5) 雑婚の非難(23~29節)、(6) ネヘミヤの働きのまとめと祈り(30~31節)。
13章に記されている状態を見ると、事態は一向に良くならず、それまでのネヘミヤの宗教改革は何の効果もなかったように感じられるかもしれません。しかし改革というものは、一回の画期的出来事で完成するものではなく、根気強くかつ妥協することのない永続的な取り組みによってようやく徹底するものであることを心に留める必要があります。そしてこの13章からも、ネヘミヤの活動の原動力は祈りであったことがよく分かります。エルサレムの城壁再建のために召された指導者ネヘミヤは、いつも神様に祈りながら新しい時代の訪れを待望し続けたのでした。
【金曜】 エステル記1章~2章
【1章】
聖書66巻のなかで女性の名前がその書名に付けられているのは、ルツ記とエステル記だけです。そのためエステルは聖書に出てくる女性のなかでも最も顕著な一人として、多くのキリスト者に慕われてきたようです。またエステル記はユダヤ人の間で大変慕われている書物でもあります。
エステル記の時代的背景はエズラ記・ネヘミヤ記とよく似ていて、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還した後の歴史を背景としています。当時の世界の大帝国ペルシャの王アハシュエロス(一般的には「クセルクセス一世」として知られています)の治世の初期の頃の話で、ペルシャの首都シュシャンがその舞台となります。エステルという聡明な女性と、彼女を養育したモルデカイという一人のユダヤ人が、知恵と勇気と信仰をもってユダヤ民族をその存亡の危機から救うというのが、その大まかなあらすじです。
1章は古代ペルシャの王宮における豪勢な酒宴をもって始まります。おそらくギリシャ遠征を前にしての様々な会議や、国威高揚と戦士たちの士気を鼓舞するためのものであったのでしょう。この大宴会の終わりにハプニングが起こりました。その席上、酒の勢いですっかり調子にのったアハシュエロス王が、王妃ワシュティの美しさを民や首長たちに誇示するために王の前に来させようとします。ところが王妃はこれを拒み、王は激怒します。なぜ王妃が王の絶対的な命令を拒否したのか、それは謎ですが、見せ物にされるのを嫌がる気持ちは理解できるでしょう。激しく憤った王は、法律の知識に詳しい知恵者に諮り、その一人メムカンの献策を取り入れることにします。その結果ワシュティは退けられ、男性主権の勅令が全国に発布されたのです。どうやらアハシュエロス王は、感情によって左右されるような少々思慮に欠けた王様だったようです。「馬鹿なことをした」と後悔しても、もう後の祭りです。
いつの時代も人の心に浮かぶ誇りや高ぶりというものは、本当に愚かなものだということを思わされます。けれどもこの出来事が、2章以降の王妃エステル誕生のきっかけとなっていくところに、神様の不思議な摂理を見ることができるのです。
【2章】
ワシュティが王妃の位から失脚して新しい王妃が求められることになりました。そこで帝国内の美しいおとめたちが王宮に召集され、いわゆる美人コンテストのようなことをやって王妃が選ばれることになりました。ユダヤ人モルデカイの養女エステルもその一人として王宮に召されます。これが彼女にとって喜ばしい出来事であったのかどうか、それは分かりません。彼女は大変美しい女性だったようで、王妃選定の責任者ヘガイの心にかないます。そしてアハシュエロス王の寵愛を受ける身となり、ついにワシュティに代わって王妃とされました。王はエステルの外見上の美しさだけではなく、彼女の性格の素直さや無欲な心をも愛したのでしょう。
養父のモルデカイはエステルに決して自分の生まれや民族を明かしてはならないと厳しく命じ、エステルはそれを堅く守りました。それはペルシャのなかにあった反ユダヤ感情や、それからくる陰謀を引き起こさないようにとの配慮であったと思います。彼はエステルがどうされるのかを知ろうとしました。この先どういう方向に事が進んでいくのか、この出来事にはどんな意味と理由があるのか。神様の摂理のなかで、すべての事は信仰者にとって恵みとなることを信じながら、人の目に隠されている神様の御業を見届けようと、じっと事の成り行きを観察している信仰者の姿がここにあります。
モルデカイは王宮の仕事に携わっていた人でした。モルデカイはあるとき2人の宦官による王の暗殺計画を発見し、エステルをとおしてそれを王に通報することで王の危機を救います。そしてそれは王の記録文書に記録されますが、このときは何の報いも得ないまま時は過ぎて行きました。
【土曜】 エステル記3章~5章
【3章】
エステル記の舞台は、春ののどけさから一転して荒涼たる冬景色へと移っていきます。3章に入ってハマンが登場します。アハシュエロス王は彼を寵愛し、異例な抜擢を行って、今で言う首相の座に昇進させました。そして王はすべての人がハマンにひれ伏すことを命じましたが、一人モルデカイはこれを拒否し、ハマンの激しい怒りを買うことになります。どうしてモルデカイがこのような態度を取ったのか、聖書は明確には語りませんが、「ベニヤミン人キシュの子」(2章5節)すなわちサウル王の子孫であるモルデカイにとって、「アガグ人」であるハマンにひざをかがめてひれ伏すことは、先祖の不信の罪(第一サムエル15章)をもう一度繰り返すことを意味したのかもしれません。
ハマンはモルデカイをひどく憎み、憤りに満たされるようになります。そしてモルデカイのみならず、ユダヤ民族全体を根絶やしにしようと計画します。ユダヤ人抹殺の日を決めるくじを投げ、その日は第12の月の13日に決まります。約1年後です。1年の猶予があることは、ユダヤ人によって不幸中の幸いだったことでしょう。そしてハマンは悪知恵を用いてユダヤ人抹殺の許可を王から巧みに引き出します。ついにユダヤ人皆殺しの詔書が発布され、シュシャンの都はこの法令によって大混乱に陥りました。
【4章】
ハマンによるユダヤ人虐殺の布告が出ると、モルデカイをはじめ全ユダヤ人のうちに大きな悲しみと断食、泣き声と嘆きとが起こりました。エステルはモルデカイに着物を送って荒布を脱がせ、自分のところへ来させて事情を聞き出そうとしましたが、モルデカイはそれには応じません。おそらく彼は、この危機的状況のなかで、なおさらユダヤ人である自分とエステルとの関係が明かされてしまうことを恐れたのかもしれません。冷静な対応です。そこでエステルは使者を遣わしてその事情を探ることにします。モルデカイもまたその使者をとおしてエステルに詳細をすべて伝え、アハシュエロス王に直訴して同胞を救うようにと命令します。
それを聞いたエステルは躊躇しました。誰であっても、それがたとえ王妃であっても、王の許可なくして王に近付く者は死刑になる危険を伴っていたからです。さらに彼女はこの1ヶ月あまりの間、王の寝所に召されていなかったのです。彼女はモルデカイの求めるようなあまりにも大きな任務を、はたして自分がふさわしくやり遂げることができるかどうか、自信が持てなかったのでしょう。
しかしモルデカイはエステルに対して、あなたはどうあってもユダヤ人であって、この神様の共同体の一員なのだということを繰り返して語ります。神様の民は、部外者のような生き方はできないのです。ついにエステルはモルデカイの訴えに答えて王に近づく決心をします。エステルは同胞たちの3日3晩にわたる断食を求めました。断食とは神様への祈り、嘆願を意味しています。
このやり取りのなかには「神」という言葉は出てきませんが、背後ですべてを支配しておられ、ある人を召し、ある人を必要な場所に配置し、そうやって愛する民を勝利や祝福へと導いてくださる神様の存在が、明らかに意識されているように思えます。
【5章】
命をかけたエステルは、ついに王宮の内庭に立ちました。彼女の心のなかでは、もはや迷いはなかったことでしょう。自分を主の摂理にゆだね、立つべきところに立ったのです。そしてアハシュエロス王の金の笏はエステルに差し伸ばされます。王に近づいたエステルは王の好意に答え、王とハマンとを酒宴に招待しました。そして王もそれに同意します。
しかしいざ宴会を開いてみると、エステルは自分が王に願おうとしている決定的な瞬間が今はまだ来ていないと直感したようです。そこでエステルは翌日も宴会を開き、そこで自分の気持ちを王に伝える約束をします。王はいよいよ王妃の思惑への関心を強め、良い意味での期待をもってこれを待ち望むように仕向けられていったのです。そしてさらにこの1日延期した間に、神様が不思議な方法で働いてくださることになります。
さて得意絶頂のハマンはその帰途、自分をまったく恐れていないモルデカイを見て憤り、帰宅後、妻と友人に心の喜びと怒りとを述べます。そして妻や友人たちの言葉に従って、モルデカイを処刑するための柱を立てさせました。
参考文献
【ネヘミヤ記】
-
千代崎秀雄「ネヘミヤ記」『新聖書注解 旧約2』いのちのことば社、1977年
-
勝原忠明「ネヘミヤ記」『新聖書講解シリーズ 旧約9』いのちのことば社、1989年
-
西満『わかりやすい旧約聖書の思想と概説 中』いのちのことば社、1998年
【エステル記】
-
大山武俊「エステル記」『新聖書注解 旧約2』いのちのことば社、1977年
-
工藤弘雄「エステル記」『新聖書講解シリーズ 旧約9』いのちのことば社、1989年
-
西満『わかりやすい旧約聖書の思想と概説 中』いのちのことば社、1998年
-
千代崎秀雄『地に降りた星』一粒社、1991年
-
遠藤嘉信『もしかすると、この時のため』いのちのことば社、2007年
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