旧約 第24週
歴代誌第一6章~22章

日本福音自由教会 那覇福音自由教会 牧師
譜久島 一成

2009年10月31日 初版
2010年5月18日 第2版

【日曜】 歴代誌第一6章~7章

【6章】

 6章は、レビ族の系図が記されています。歴代誌は、捕囚より帰還した民が、主への礼拝を確立していくために記された書巻です。その意味において、6章に記されているレビ族の系図は民の礼拝に仕えるという点でも欠かせないものであったといえるでしょう。
 6章全体を見るなかで、一人一人の名前を系図に記すことによって初めて気づいたことがあります。それは、(1) 3~8節と50~53節のアロンの系図、(2) 16~21節と41~43節のゲルショムの系図、(3) 26~28節と33~35節のエルカナの系図です。これらの系図は、二重に記されています。すなわち、先祖から子孫へ、さらに子孫から先祖へと記しているのです。このことは、この系図に、より重きを置いていたからこそ、限られたスペースのなかにあっても二重に記したのでありましょう。
 では、そこにいる人々はどのような人たちでしょうか? そこにあったのは主の幕屋や宮に仕えて歩んだ人々、その子孫であります。主の宮に仕えて歩む、その尊さから二重に記されたのでありましょう。これは私たちの教会でいうならば、礼拝の奉仕者の名前であり、礼拝奉仕者の系図といっても良いかもしれません。この家系は、代々神の宮に仕えて歩んでいた。賛美をささげていた。そういった事柄は、荒涼としたエルサレムを目の当たりにしたエズラの時代、これから礼拝をささげて歩もうと願っている彼らに、大きな励ましとなったことでありましょう。
 私たちも、6章の系図のように、真の主に仕えさせていただく祝福を覚えつつ、主の恵みによって祝福の系図をそれぞれの教会において築かせていただければと思います。

注) 新改訳の6章の内容は、新共同訳の5章27節~6章65節に該当します。

【7章】

 7章には、イッサカル族、ベニヤミン族、ナフタリ族、マナセ族、エフライム族、アシェル族の系図が記されています。このなかでも、13節にあるナフタリ族の記述はごく僅かです。北イスラエルが滅んで200年以上も経っているので、おそらく系図そのもの、資料の多くが失われたためではないかと推測します。
 しかし、歴代誌の記者は、少ないからといってナフタリの系図を省こうとはしませんでした。たとえ今、失われた部族であっても、資料が少なくとも、1節分しか記すものがなかったとしても、書き残すことによって、彼らは私たちの部族であった。そのことを明確に示しています。
 教会においても、私たちは、時々、自分の小ささに圧倒されて、ほとんど無価値のように感じてしまう。そういうことがあるかもしれません。しかし主は、小さく弱い私たちであっても覚えてくださっています。そのことをナフタリのこの小さな記述をとおして、ともに心に留めたいと思います。

【月曜】 歴代誌第一8章~10章

【8章】

 8章は、ベニヤミン族の系図が記されています。
 ベニヤミンといえば、実の父親から「かみ裂く狼」と評されています。気性が激しかったのでしょうか。その子孫も、ときにイスラエル11部族を相手に戦争をしたりと、激しい気質がうかがわれます。士師記の最後では、その戦いによって多くの男子が死に、一族存続が危ぶまれる状態にまでなりました。
 しかし、紆余曲折を経たベニヤミン族でしたが、ユダ族とともに生き延びます。なぜでしょう? 28節をみると、一族のおもだった者たちがエルサレムに住んだ、とあります。王国が分裂した後、普通に考えればベニヤミン族は、同じ母を祖とするヨセフ族、すなわち北イスラエルを起こしたエフライム族につく可能性が十分ありました。しかし彼らはユダ族の側についたのです。血のつながりよりも信仰のつながりを、人にではなく、神の側についた結実と言ってよいでしょう。
 私たちも勿論、血のつながりは大切です。しかし、信仰のつながりこそ、主とのつながりこそ、最も大事なことであることを学びたいと思います。

【9章】

 9章は、捕囚後イスラエルに帰還した人々の系図です。
 荒涼としたエルサレムに住みついた信仰の勇者たちの名前が記されていますが、そんな彼らの見本として記されているのが20節のピネハスです。彼はアロンの孫であり、イスラエル人がバアル礼拝を行ったとき、神の側に立って行動し、そのことによって神罰がやみました。すばらしい働きをした人です。これだけのことをしたので、「主は彼とともにおられた」と記されていても頷けます。
 旧約聖書をみると、このように記されている人物は決して多くありません。神とともに歩める。それは特別で、信仰深い人という感じさえします。しかし、新約に生きる私たちに対して、主は「わたしは、あなたとともにいる」とおっしゃるのです。あのピネハスと同様に! これはどれほど大きな恵みでしょうか。主がともに歩んでくださるのです。その恵みを胸に今日もまた一歩、進んでいきましょう。

【10章】

 10章は、サウル王の末路が記されています。
 サウル王は8章でみたベニヤミン族の出身です。サウル王の少し前の時代、ベニヤミン族はイスラエル11部族を相手に戦争をし、惨敗を喫しました。ベニヤミン族はとても小さな、力の弱い部族となっていたのです。サウルもそのことをよく知っていました。ですから王として召命を受けた時、躊躇したのです。
 サウル王は、自分や部族の小ささ弱さを知るゆえに、なおさら主により頼んで歩むべきでした。しかし、いつしか彼は、主よりも、自分の力、考え、経験、それらに重きを置くようになったのです。それらを活かすことは大切でしょう。しかし、主の助けなど必要ないとばかりに彼は歩み、落ちていきました。もったいない。
 サウルの歩みを他山の石として、主により頼み歩める幸いを覚えつつ、生きていきましょう。

【火曜】 歴代誌第一11章~12章

【11章】

 11章から、いよいよダビデが登場してきます。
 サウル王の死後、イスラエルという国は士師記のような時代に戻る可能性がありました。しかし人々は、ダビデを王とします。これはサムエルをとおして与えられた主のみことばに従った結果です。大切な決断をするとき、みことばに立ち返るということを、私たちも貴重としたいと思います。
 15節からは30人の勇士のうち、3人の活躍が記されています。このあたりの記述は、三国志に出てくる趙雲子龍が曹操の大軍に追われたとき、主君である劉備の子ども阿斗を命がけで守り、敵軍を突破したあと、無事、劉備のもとに届けるものの、劉備は阿斗を粗雑に扱い、もう少しで大切な部下を失うことになったと趙雲子龍を労わる場面に重なります。
 ダビデも劉備も部下を思い、労わるという点で一致しますが、ダビデはさらに上をいきます。それは神を見上げ、礼拝したという点です。勇士たちの行為はまさに主に対する献身であり、ゆえにダビデも、自分を神とするのではなく、彼らのもってきた杯を主にささげ、礼拝したのです。
 人は指導者のどこに魅力を感じるのでしょう、そのリーダーが何を見ているのかによるところが大きいかと思います。神を見上げ、敬虔に歩む人、そういう人に、私たちはやはり魅力を感じます。ダビデの生涯、続きが楽しみですね。

【12章】

 12章には、ダビデのもとに人が集まってきた様子が記されています。
 ダビデが「ツィケラグ」に引きこもっていたのは、サウルに命を狙われていたためです。ダビデは、誠心誠意仕えてきた主人に誤解され、追われ、命まで狙われ、敵国であるペリシテに逃げなければならないほど深刻な状況でした。相当なストレスといってよいでしょう。いつの時代でも人間関係の苦しみは大きな痛みを伴います。ただ、ダビデにとって不遇の時代ともいえるこのとき、彼のもとに集まってきた人々がいました。それが、この章に記されている人々です。
 なかでも16節には、ベニヤミン族から来たとあります。ベニヤミン族といえば、サウル王の一族です。しかも29節をみると、彼らは「サウルの家の任務についていた」人々です。スパイかもしれません。ダビデの寝首をとりに来た可能性が十分にあります。しかし、もし本心からダビデのもとに来たのであれば、彼らは身近な者たちをも断ち切って来たまことの勇者たちであります。どのように対応するか、非常に難しい決断に迫られました。
 ダビデはどうしたでしょう? 17節をみると、主に委ねつつ、彼らを受け入れたのです。もし彼らが不当な思いであれば、主が裁かれる。正当な思いであれば一つ心となって歩める。
 私たちも難しい決断に迫られることがあります。そのとき主に信頼しつつ進んでいくことができるという特権を思い起こすものでありましょう。

注) 12章は5節以降、新改訳の節数+1節が、新共同訳の該当箇所となります。

【水曜】 歴代誌第一13章~15章

【13章】

 13章は、ダビデが神の箱を持ち帰ろうとしたときのことが記されています。
 神の箱の概観は、日本でいうと神社の御輿に近いものがあります。ただ、その象徴するところは、聖なる主の臨在であり、不用意に中を見たり、手で触れたりするものではありません。
 さて、ダビデはこの神の箱を、サウルの時代にないがしろにされていたので、持ち帰ろうという提案をします。このこと自体は、とてもよいことでした。ダビデは、神の箱を運ぶための車を用意し、ウザとアフヨに任せます。ところが途中、箱が転げそうになり、それを押さえようとしたウザが打たれたのです。なぜでしょう? ウザは良かれと思ってしたことであり、責められる点などまったくないように思えます。
 しかし、このとき重大な過ちを犯していたのです。そもそも神の箱は、人の手によって運ばなければなりません。それを牛に載せて運んだのです。確かに効率はよいかもしれませんが、それはみことばに背きます。また誰が運んでもよいというものでもありません。神に仕えるレビ人のみ運ぶことが許されていたのです。当然、ウザとアフヨは違っていました。さらに、神の箱は決して手で触れてよいものではありません。聖なる主の臨在の象徴であるのです。
 ウザの行為は確かに機転の利いたものでした。しかし、そこには「聖なる主への畏れ」がなかったのです。ダビデの「神の箱を持ち帰る」という計画はすばらしいものでした。しかし、みことばに基づいていなかったという点で、画竜点睛を欠いたのです。

【14章】

 14章はペリシテとの戦いが記されています。
 ダビデはサウル王に追われたときに、ペリシテ人に助けられました。いわばペリシテ人は恩人です。そのペリシテが、ダビデが王となったとき戦いをしかけてきたのです。ペリシテ側から見れば、ダビデは自分たちを裏切った卑劣な輩と映っていたことでしょう。ダビデにしてみれば、ペリシテはお世話になった人々。人情という面では戦いにくいものがあったでしょう。しかし、王として主に召されたダビデは、国を守る必要がありました。たとえ恩義を感じることがあっても、神の側に立って決断したのです。
 沖縄では、毎年お盆になると偶像礼拝の戦いがあります。親族が束になって偶像を拝せよと強制してきます。なかにはお世話になった人々もいます。しかし、そのときどこに立つか。誰の側に立つか。主のみことばを仰ぎつつ、決断したいのです。
 ダビデは主に伺い、主は応えてくださいました。私たちに対しても、主は応えてくださいます。主に励まされつつ、勝利していきましょう。

【15章】

 15章は、神の箱を再び運び入れるダビデの姿が記されています。
 2節をみると、ダビデは箱の運搬に関して「レビ人でなければ神の箱をかついではならない」こと、さらに「身を聖別しなければならない」ことを明言しています。これは裏を返せば、自分が以前した方法は誤りであったと公にしたということであります。
 自分の過ちを認めるということは、なんと難しいことでしょう。年も要職も上にいくほど、それはより困難さを増します。しかし、このときのダビデは大いに評価できます。王であるから間違えないということではなく、主の前に真に遜り、前回、どうしてあのようなことが起きたのか、自分のとった行動を真摯に見つめ、そして包み隠さず改善案を語ったのでした。
 誰でも、どんな立場の人でも過ちを犯すということはありえます。しかし、その後、それをもみ消すのか、他者のせいにするのか、それとも自分の歩みを真摯に見つめ、過ちを認め、改善するのか、やはり後者は祝福されていくことでしょう。ぜひダビデの足跡に倣わせていただきましょう。

【木曜】 歴代誌第一16章~17章

【16章】

 16章は、神の箱を運び入れた民の礼拝の様子が記されています。
 ダビデの町に入った神の箱は、そのまま天幕の中心に置かれ、民は礼拝をささげました。8~12節を見ると、ダビデは人々に、呼び求めよ、知らせよ、歌え、思いを潜めよ、誇りとせよ、喜ばせよ、尋ね求めよ、慕い求めよ、思い起こせと語りかけます。これらはすべて命令口調でもあり、一見窮屈に感じるかもしれません。
 しかし、思い出してほしいのです。本来、罪人である私たちは、これらのうち一つも許されるべきものではありません。主を呼び求めることも、主をほめたたえることも、主を尋ね求めることも、できないものです。しかしそれが許されているのです。ですから、主への礼拝にもあてはまりますが、「しなければならない」ではなく、これらをする恵みに預かっているという点に開眼させられたいと思います。

【17章】

 17章は、神殿の建設を申し出たダビデに対し、主がそれを退けられたことが記されています。
 イスラエルにおいて、ほとんどの家は石で作られていました。ですから、ダビデの住んでいた杉材の家というのは、まさにとても高価な家を指しています。だからでしょうか、ダビデは「私が主の家を建てる」という趣旨の提案を預言者にもちかけます。しかし、主からの返答はまったく逆でした。ダビデが主の家を建てるのではなく、主がダビデの家を建ててくださっていたのです。
 私たちも似たようなことがあります。私たちは労苦すればするほど、自分がこの教会を建てたと錯覚しやすいものです。しかし、これは教会の私物化につながる可能性も出てきますし、傲慢がいつもその心の底流に流れています。教会は、初めから終りまで主が建ててくださったもの。教会が建ったのは、主の恵み以外、何ものでもないということをしっかりと銘記しましょう。

【金曜】 歴代誌第一18章~20章

【18章】

 18章は、主がダビデの行く先々に勝利を与えられたことが記されています。
 1節にある「その後」とは何を指しているのでしょう? これは、これまでの歩み、すなわち、ダビデが王となった後、ダビデの町を首都とし、神の箱を取り入れ、主を礼拝した一連の出来事を指しているといってよいでしょう。ダビデは、それらをなした後、「その後」外との課題、ペリシテやモアブに打って出たのであります。
 国王となったダビデにとって、なすべきことは山積みだったでしょう。そのなかから何を優先し、行なっていくか。それはきわめて重要な部類に入ります。そのようななか、ダビデは先に戦い、ではなく、まず神の箱を取り入れ、主を拝するということを第一としたのでした。主もまたそのようなダビデを祝し、行く先々で勝利を与えられたのです。
 今日という一日のなか、あるいは一週間という歩みのなか、何を第一として歩むか、もう一度吟味させられたいと思います。

【19章】

 19章は、アモン人との戦いが記されています。
 ダビデはアモン人の王ナハシュの死に対し、真実を尽くそうと弔問の使者を送ったのですが、アモン人の王ハヌンは、「ダビデなど信じられない。きっと偵察に来たのだ」と、ダビデの使者を辱めたうえで送り返します。いつの時代も、浅はかな考えに基づく愚行は悲劇しか生みません。さらに愚劣なのは「ダビデの憎しみを買った」のを知って、アモン人のほうから戦争をしかけたことであります。アクセルを踏むことしか知らない指導者とは、まさに国の害悪でしかありません。
 一方、この戦いに対し、将軍ヨアブは「全力を尽くそう」と語り、10節をみると、現状に応じて主からいただいた才能をしっかり働かせています。そのうえで、「主は御心にかなうことをされる」と告白するのです。主に信頼するとは、何もしないことではなく、与えられた賜物をフルに活かしつつ、ことに取り組むということでありましょう。

【20章】

 20章は、イスラエルが周辺諸国相手にことごとく勝利を収め、国が安定したことが記されています。
 ヨアブ率いる軍隊は次々と勝利を収め、19章から続いていたアモン人との戦いも終結を迎えることとなり、ダビデは冠を取り、アモン人たちはイスラエルに仕える者となったのです。
 さらに4~6節をみると、ペリシテ人との戦いが続きますが、ゲゼルでの戦い、ゴリヤテの弟ラフミとの戦い、ガテでの戦い、いずれも勝利を収めます。少し前の時代でゴリヤテ一人にイスラエル軍が苦戦を強いられていました。そのことを思うと、どの戦いも容易な勝利ではなかったと思いますが、見事すべてに勝利しました。
 20章はまさにダビデの思うとおり、望むとおりにことが進んでいった章といってよいでしょう。ところが、この20章の最中、あのバテシェバとの事件が起こったのです。
 私たちは、物事が自分の思うとおり、望むとおりに運んでほしいと願うものです。しかし、そのとおりに現実がなると案外、その心は主から遠ざかってしまい、大切なものを見失うということが往々にしてあると思います。そう考えるとなかなか思うようにならない現実も、実は主が、私たちを思っての良き計らいであることも見えてきます。いずれにせよ「いかなるときも主をたたえる」そんな信仰者でありたいと願います。

【土曜】 歴代誌第一21章~22章

【21章】

 21章は、ダビデが人口調査を命じた罪と、そこからきた刑罰、そして赦しが記されています。
 聖書をみると、民の数を調べるという記述は、民数記をはじめ、この歴代誌にもたくさんあります。したがって、人数を調べること自体は、悪ではありません。ダビデの罪は、サタンの誘惑に従って行なったことにあります。このダビデの罪ゆえに、民の間に疫病が起こったのであります。なぜ、ダビデの罪なのに、と考えてしまいますが、やはり指導者の責任というのは、それだけ重いということを心に留めたいと思います。
 ただ、ここを注意深くみると、本来なら12節にあるようにイスラエルの国中にさばきが起こるはずでした。ところが実際は「ダンからベエル・シェバに至るまで」と限定されます。さらに、そのさばきも途中で止められたのでした。ダビデが何かをしたからではありません。主の赦しが先行したのです。ダビデは預言者ガドをとおして主に言われたことを実行します。すなわち、オルナンの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築き、全焼と和解のいけにえをささげたのでした。主も天から火をくだして答えてくださいました。
 このダビデが罪を悔い改めた場所、そして主が彼を赦された場所、ここが後に神殿となっていきます。

【22章】

 22章は、神殿建設の場所が決定し、それをソロモンに受け継ぐことが記されています。
 17章において、ダビデは神殿を建ててはならないと言われていました。なぜダビデではダメなのか、その理由の一端が明らかにされます。それは8節にあるように「多くの血を流してきたから」であります。ふと疑問に思います。ダビデにとって戦は避けられないものではなかったのか。サウル王に仕えていたときも、また王となったあとも、国を守るためにしなければならないことではなかったのか。にもかかわらず、ここにきて、それを理由に神殿を建設できないとは、どういうことであろうかと。
 ただ、じっくり考えていくと、やはり主の御心は「戦い」ではなく「平和」にこそあるのだと思わされます。人の罪ゆえに戦いは起こりえますが、主は決してそれを積極的に望んではおられないのです。それゆえでしょう、神殿を建設するのはダビデではなくソロモン、その名前はシャローム、平和・平安から派生した名前です。
 イエス様は「平和をつくる者は幸いです」と言われました。今、ソロモンの神殿はありませんが、神の宮とされた私たちは、「戦い」ではなく「平和」を愛し、つくるものとさせていただければ、と思います。