旧約 第23週
列王記第二16章~歴代誌第一5章

聖ノア動物病院 院長
日本バプテスト連盟 バプテスト野方キリスト教会 教会員

渕上 英一郎

2009年10月31日 初版

【日曜】 列王記第二16章~17章

 南ユダではヨタムの子アハズが、サウルから数えて第15代目の王に即位します。それはダビデの死からおよそ230年後のことでした。
 わずか20歳の若さでの王位は、彼にも国家にも不幸だったでしょうか?しかし聖書は彼の未熟さや、経験の無さは一言も咎めていません。ただ、彼が北イスラエルの王たちと同じ不信仰の道を選んだことを、責めているのです。(16章3節)
 南ユダの王20人のなかで、身内や母親について言及してもらえなかった王は、アハズだけです。
 時代はユダの国力が衰退し、アラムや隣国北イスラエルら諸外国が、領土を食い尽くし、併合しようとその触手を延ばしてくる頃でした(16章5節)。
 アハズはその攻撃に耐えましたが大損害を被ります(第二歴代28章)。彼がその数年間に及ぶ包囲と飢餓と不安に耐えるために選んだ方法は、神への祈りではなく、悔い改めでもなく、我が子を火中に押しやることだったようです。
 当時、真鍮で作ったモレク像の内部に火を燃やし、真っ赤に焼けたその手に幼児を乗せて焼き殺し、悲鳴が聞こえぬよう楽器を鳴らしてはやし立てる儀式があったそうです。
 アハズは異教の神に頼り、またアッシリアのしもべになることを誓います(16章7節)。その後は祭司のウリヤも含めて、国をあげてダマスコの祭壇のコピー作成にとりかかるという堕落腐敗ぶりに目を疑うのです。

 さて17章は、北イスラエル王国最後の王ホセアの記録です。
 かつてダビデ、ソロモンの栄華を誇った国の北半分が、ついに23代目でガラガラと崩れていくのをここに見るのです。紀元前8世紀ごろです。同時期の日本では、まだ文書はおろか縄文式土器以外ほとんど歴史資料が見い出せない、そんな時代です。
 神は不信仰のイスラエルを罰し、悔い改めと立ち直りの機会を残すためにアッシリアを用意しました。しかしホセア王は当初アッシリアに服従を誓いますが、後に心変わりをし、エジプトに頼ろうと画策します(17章4節)。
 ところが頼りにしていたエジプトは救援に来ず、包囲されて3年間「もうすぐ、もうすぐ、きっといつか・・・」そう自分に言い聞かせながら待ち続けますが、望みは空しく潰え去りました。ついにサマリヤは陥落し、国家の滅亡です。

 人生に望みは必要です。耐えて、苦しみを乗り越える希望は必要です。けれども偽薬が人を騙し治癒のチャンスを奪うのと同様、虚しい望み不在の神々への信仰は信じた人の人生を台無しにします。人生の望みだけは、決して不確かなものに託しては駄目なのです。
 北イスラエルに立てられた王20人のうち、7人が謀反で惨殺、それ以外にも戦死、事故死、神の裁き、自殺等で4人亡くなっている悲惨さです!
 聖書は言います。「あなたがたの神、主だけを恐れなければならない」(17章39節)

【月曜】 列王記第二18章~19章

 18章からヒゼキヤ王の話しになります。父アハズは最悪な王でしたが、母親アビの父がもし歴代誌第二26章5節に記された信仰の人なら、ヒゼキヤは今日流で言うなら、母親だけクリスチャンの家で育てられた立派な青年のような者かもしれません。

 さて注目は4節です。信仰者が異教に関わるものを打ち壊したならわかります。偶像や神棚仏壇を捨てたのならわかります。ところがヒゼキヤは、なんとモーセが作ったあの有名な青銅の蛇(民数記21章)も壊したのです。神の救いの象徴、十字架の予見ともなる、由緒正しくてイスラエル人には国宝以上に価値のある青銅の蛇を壊したのです。国民がそれを拝む風潮を危惧したからでした。
 これは、バアルやアシェラ像を壊す以上に霊的な決断力を必要としたことでしょう。

 海洋を長く航海する船舶は、船体にフジツボや貝が多量に付着し航行を危うくするそうです。同様に長く信仰生活をしていると気がつかないうちに経験や堆積物のネフシュタンが付着し、心の自由を奪い硬化させます。
 忠実に信仰に生きたキリスト者には素晴らしい想い出がたくさんあります。一生懸命トラクトを配ったこと、教会学校で奉仕し、役員で奔走した数十年・・・。しかし私たちの罪の赦しと救いは、過去の想い出のネフシュタンで支えられているのではありません。私たちは信仰の遺物に香を焚きながら安泰するのでなく、ただキリストの身代わりの死のゆえに救われたことだけをいつも思い出すべきです。

 19章では信仰の王ヒゼキヤが今、悩みと試練に遭っています。王宮での会議でラブ・シャケの尊大な言葉を聞いて彼の堅く握ったこぶしは悔しさに震え、顔も怒りで歪みました。こんな侮り、こんな嘲笑があるでしょうか!
 しかし状況はいたって惨めです。アッシリアに敵わないのです。ただただ臆病な亀のように手足をひっこめ、城に閉じ篭る以外、何もできなかったからです。
 このような状況で、けれど彼は第一にまっすぐ神殿に行きました。ぼろぼろの荒布と魂をまとって神の前に立ち、宮で祈るのです。
 第二に、イザヤに「祈ってくれ」と依頼しました。あなたは人生の危機のときに、「祈ってください」と頼める信頼できる知人を普段から築いてきたでしょうか?教会は、真に祈りあえる師が、あるいは友人が見つかる所です。今日でも多くのトップや大統領たちは、皆そういう知人を大切に持っているのです。

 さて最後に、神の言葉に注目してください。19章6節です。神はラブ・シャケの言葉をヒゼキヤに対するものでなく、主への冒涜、主ご自身への挑戦として聞いてくださいました。もはやこれはヒゼキヤの戦いではなく、主ご自身の戦いであることを、明らかにされたのです。実のところ神はヒゼキヤの戦いを援助してくださるのでなく、むしろ神の戦いに信仰者を参加させてくださるのです。私たちの戦いは、今もみな、そのような素晴らしい戦いなのです。

【火曜】 列王記第二20章~21章

 ヒゼキヤは、死の病に冒されました。王宮のベッドに臥して苦しい息を吐いています。御殿医は匙を投げたような顔で、付き添っていたことでしょう。家来たちも二、三人集まればヒソヒソと容態の深刻さを噂し合いました。
 イザヤはそんな重病のヒゼキヤの枕辺に立ち、言います。
 「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない」(20章1節)
 預言者はわざわざ衰弱している人のところに出かけてきて、「もう、助からん。あきらめろ。身辺整理しろ」と、言うのです。これは、「遺言して後継者を明確に決めておきなさい」という意味だとも言われています。
 私たちが病人を見舞うとき、どんな言葉を携えて行くでしょうか?「元気をだしてね。早く良くなってね」と言いながら、聖書にある慰めや希望を語ると思います。まさか色紙に、この20章1節を書く人はいないでしょう。しかしイザヤはヒゼキヤの死後、内乱が起こらないためにも、こう伝えなければならなかったのです。

 ところで私たちも、この1節の言葉を聞かなければなりません。
 ある日の新聞に、1人の白バイ警官の死が報じられていました。彼はその日、原付バイクの講習会の指導に出かけました。ところがその帰路、同僚3人と帰る途中、前輪がパンクしてハンドルを取られ、転倒し亡くなったのです。
 運転のプロが、まさかパンクで死ぬというのはあまりにも不運、予想外のことです。しかし実にそれが、私たちの命ではないでしょうか。
 それゆえ私たちは2つの点で死への備えをしなければなりません。
 1つは、神に会う備えです。私たちが死ぬとき、誰一人有効な援助ができるわけではありません。私たちは自分自身の平安のために、心を配っていなければならないのです。慰めの言葉、気休めの言葉をもらって、恐れおののきながら死を待つのでなく、神の前に人生を整理して、永遠の命を迎えるのです。
 もう1つは、残される家族も神の命に生かされるように、手を打っておくことです。私たちの人生は長いものではありません。打つべき手はきちんと打って、子どもや家族の信仰のため救いのため、最大限の工夫を凝らし、努めておくべきです。

 「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た」(20章5節)癒しの約束です。
 苦難の中で、ヒゼキヤの祈りはしばしば聞かれていました。そういう意味では彼はユダにおける祈りの王と呼ぶこともできるでしょう。
 「どうぞ私が精一杯、全き心で歩んできたことを思い出してください」(20章3節)
 「ただ憐れみしかいただけません。あなたの憐れみだけを懇願します」
 罪人が、そして信仰者が祈るのは、いつも神の憐れみこそを切に願う祈りなのです。

【水曜】 列王記第二22章~23章

 聖書中、名指しされて出現を預言された人物は、イエス様の他に3人しかいません。バプテスマのヨハネとペルシャのクロス王と、そしてヨシヤ王(第一列王13章2節)です。
 アウグスチヌスの背後に、祈りをもって育てた母モニカがいたように、8歳で王位についたヨシヤにも心血なる祈りを注いだ母エディダがいたのではないでしょうか(22章1節)。

 このヨシヤが目覚しい宗教改革の働きを始めたのは18年目26歳の頃からでした。神殿の修復工事中、書記シャファンは偶然発見された律法の書の重大さに気づきます。またヨシヤはその律法の書を聞いたとき、燦然と煌いた王服を引き裂いて、悔い改めの必要に気づくのです。この律法の書とは申命記だったのではないかと言われています。

 ところで、もし発見したのが私なら、私はこの書の重大性に気づいたでしょうか?あなたならどうでしょうか?私たちにもショックを受けるような聖書の読み方が必要でしょう。
 ヨシヤは決して悪人でも、身勝手な我が儘者でもありませんでした。けれども、彼は電気に打たれたように悔い改めたのです。神の言葉を聞き、先祖の罪とそして自分の罪に目が覚めたからでした。

 ヨシヤは錚々たる重臣5人を派遣しました。行き先はエルサレムの第二区。ゴミが落ち、野良猫がうろつく街の中、普通の市民と共に住む女預言者フルダに指導を受けるためです。フルダは言いました。「この国と住民に災いをくだす。しかしあなたがこれを聞き、心を痛め、へりくだり、泣いたので、あなたの時代にそれが来ないよう延期する」と。

 ヨシヤは直ちに神殿内にあふれる異教の神々、偶像の海にメスを入れ、掃海作業を断行するのです。
 すべてのものをキデロンの谷に運び、焼き、打ち砕き、異教の礼拝所を破壊し汚し、最後は異教指導の祭司を処刑しました(23章4~20節)。23章8節のゲバからベエル・シェバまでというのは、日本で言えば北海道の稚内から沖縄の那覇までという意味になります。
 このようにしてエルサレム神殿から始まった宗教改革の炎は、ついに元隣国サマリヤの町々まで聖める火となりました。

 ところで、このヨシヤの宗教改革は、今はもう昔の話でしょうか?いや、この篤き炎は列王記を読む私たちの心に飛び火して、燃え移らなければならないのではないでしょうか!これらのみことばからショックを受け、ひれ伏し、私たちの外なる偶像、内なる傲慢を点検、駆逐、一掃され、新たに教会にも燃え広がらねばならないのです。
 パウロは言いました。「キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。・・・神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう」(第二コリント6章15~16節)
 旧約の聖徒の戦い、新約の解き明かし、みことばの一つ一つに生かされるキリスト者でありたいと願います。

【木曜】 列王記第二24章~25章

 24章1節の「エホヤキムの時代」とは、神の言葉がナイフで削られ、暖炉に燃やされる時代でした(エレミヤ36章23節)。エホヤキムはパロ(ファラオ)・ネコに建てられたエジプトの傀儡政権でしたが、時代はすでにバビロンに移ろうとしていました。それで彼は一度はバビロンに屈しましすが、3年後の反逆のために捕囚処置となり(第二歴代36章6節)、そのためユダはダニエルはじめ多くの優秀な人材を失うことになります(ダニエル1章1~2節)。

 後を継いだエホヤキンにも、再びバビロンの触手が襲いかかります(24章10節)。わずか18歳の、真実な神を信じていない王には荷が重過ぎました。彼は母や家来、高官たちと相談して降伏を決めます。たった3ヵ月の在位でしたが、聖書はエホヤキンも神の前に悪を重ねた王であったと、宣告します(24章9節)。
 この時も多くの優秀な頭脳が失われます(24章14節)。高官や職人、鍛冶屋は、今日流ならハイテクの先端技術者や知識人たちでしょうか。そのなかにはエゼキエルも混じっていました(エゼキエル1章1節)。こういうわけで、南ユダ王国の崩壊は、単に都市の破壊と荒廃にとどまらず、神に従い愛される民が多数流出し失われ、散らされる時代でもありました。

 さて最後の王になるのがゼデキヤです(24章17節)。彼はヨシヤ王の子どもでした。つまりエホアハズ、エホヤキムらと異母兄弟になるのです。こうしてヨシヤの息子が3人も王になるのですが、どれも父親の優れた信仰を受け継ぎませんでした。私たちはここに、黙って親の背中を見てもらうだけで信仰継承が簡単に達成されるものではないことを、肝に銘じるべきです。
 さてゼデキヤもバビロンに座らせてもらったはずの王位を何と誤解したのか、誰に唆されたのか、9年目にネブカデネザルに反抗し始めます。言わんことではない、すぐに大軍が攻め寄せて来、エルサレムを囲み、ネコの子一匹通さぬ布陣を張ります。ゼデキヤはその後城壁内に立て篭もり籠城しますが、ついに1年半して食料が尽きると守りは破れたのです(25章4節)。
 彼は備えの薄そうな所を選んで脱出、突破しますが、ゼデキヤの兜首をあげようと執拗に追いかけてくる敵兵を振り切れずに、ついにエリコの草原で雑兵に捕まるのです。
 ネブカデネザルはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを惨殺し、そして彼の両眼をえぐって青銅の足かせにつないで、苦しみを増し加えます(25章7節)。
 ゼデキヤが追跡兵の手さえ逃れられなかったのなら、まして私たちが神の恐ろしい裁きの手を逃れることができるでしょうか?私たちは自由を奪われ、家族を失い、健康を失い、すべてを失う前に、自分が惨めな罪人であることをはっきり知るべきです(哀歌5章21節)。

 最後に、理由のないエホヤキンの釈放・厚遇は、福音の恵みを予感させます(25章27~30節)。列王記の著者は、罪のなかで滅亡してゆくユダをじっくりと記録しながら、最終の4節で人の知恵にも力にもよらない神の恵みと光を、くっきりと照らしてくれたのです。

【金曜】 歴代誌第一1章~2章

 歴代誌が記述編集された成立年代は、いつ頃でしょうか?歴代誌の最終ページの内容から推測すれば、南ユダの崩壊後相当経ってからです。神の民が敗戦国奴隷として屈辱に耐え、ようやくペルシャのクロス王から解放帰郷を許可されて以降の時代と思われます。
 とはいえ歴代誌の著者がとりあげているタイムスパンそのものは非常に長く、これよりはるか以前の創世記に記された出来事から始まっています。
 そう、「アダム、セツ、エノシュ・・・」と、いきなり人類の始祖から読み上げられるのです。その後、私たちに馴染み深い名前、ノア、アブラハム、イスラエル、ダビデなどが記述されながら12部族の系図へと入っていきます。最初の1~9章までは系図や人名で埋め尽くされますので、日本人には読み辛い部分です。

 ところで、私たちが結婚披露宴に出席したとき、よく新郎新婦の紹介に乳幼児期から少年少女期にかけてのスライドショーを見せられることがあります。ちょうどそのように、歴代誌は神の民の生い立ちと道のりを読者に再確認させるところから始まります。
 ティンデルの歴代誌注解書を担当したM. セルマンは、こんな話しを紹介しています。
 ある教師がユダヤ人の生徒に聖書のなかでどこが一番好きな箇所か?と聞いたそうです。すると生徒は、系図だらけのこの「歴代誌の最初の8章だ」と答えたそうです。
 そんな話を聞くと、聖書を「私たちのことが書いてある書だ」とする真剣な受け止め方については、日本人はまだまだユダヤ人の足もとにも及ばないのかと、考えるのです。
 アダムから始まりペルシャ捕囚時代までを網羅する歴代誌は、旧約聖書のダイジェスト版と捉えられそうで、とにかく著者は、捕囚から帰還して骨抜きになった民を教え、励まし、育て上げるために必要な内容を厳選してここに編集したようです。

 さて、歴代誌の内容の大部分は、サムエル記、列王記などと重複しています。なぜこんなに並列記事が必要なのかといぶかりたくなりますが、新約で福音書が4人もの著者で立体的に描かれたことを思えば、これらの重複も信仰者の聖書理解の手助けになっても邪魔にはならないでしょう。いや邪魔どころか、重複して提供せねばならなかったほどに、ダビデと分裂王国時代の歴史は、特別に大切な出来事に満ちていた!ことを悟るべきではないでしょうか。
 重複していても、注意深く読めば一つ一つの出来事に、著者は短く非常に興味深いコメントを挿入しています。たとえば、ダビデが血を流してきたから(第一歴代28章3節)、人々に愛されなかったヨラム(第二歴代21章20節)、心を高ぶらせたヒゼキヤ(第二歴代32章25節)など、並行箇所では見つからない言及には、目が釘づけになりそうです。

【土曜】 歴代誌第一3章~5章

 系図の記録がさらに続きます。
 私たち日本人も、系図の意味合いを多少は知らないわけではありません。徳川さんや島津さん上杉さん毛利さん等にお会いすると、さぞや由緒正しい流れを汲む方かと想像を広げますし、あるスケーターなども、マスコミではわざわざ織田信長の子孫として紹介されたわけです。

 系図はその人のアイデンティティに関わりますが、イスラエルの民にとっては特にそうでした。
 3章1~9節では、ダビデの子どものうち、あまり知られていないダニエルなどの名前も含めて20人だけ記載されました。10節からはソロモン以降の南ユダの王室系図。4章ではイスラエル12部族中、ヨルダン川西岸の南半分の地域に暮らしたユダとシメオンの系図、そして5章ではヨルダン川東岸に展開したルベンとガド、マナセの半部族について、系図が記載されています。
 旧約聖書に名前が記録されるという、この上ない名誉を手にした人々は、当然のことながら当時の大集団の部族長の超エリートであったり、最高位の政治指導者のうちのごく限られた人たちでした。
 しかしなかには、亜麻布や陶器を扱う王室御用達の氏族もいました(4章21~23節)。

 それにしても、ここに名を連ねられることのなんと名誉なことでしょうか。
 人間の心は、たかが学級委員の選挙であっても、我が名に1票でも2票でも入っていれば、悪い気はしないものです。
 ましてや死ぬほど努力をして勝ち得る甲子園の優勝旗やオリンピックのメダル、レコード大賞やアカデミー賞や直木賞や、そしてあのノーベル賞や・・・。
 確かにこれらの受賞者として名を連ねることは、人生において神の恵みと祝福をいただいたと思っても、ある意味では間違いではないと思います。

 しかし、しかしです。それらは決して神の賞賛ではなく、恵みにすぎないのです。5章25~26節をご覧ください。
 勇士であり名のあった部族長たちが、主なる神に罪を犯したために、やがてその国力は衰退し、城壁は落ち、ついに一族も奴隷となって知らない土地へ捕囚されていくのです。
 歴史に名を、その誇り高き名を刻まれながら、しかしその大切な名前を恥辱まみれにしてしまった記録が、ここにあるのです。
 歴代誌の著者は言います。神の恵みの価値を知らない者は、それを失う。
 選ばれし栄光の民がなぜ鎖に引かれアッシリアへ行ったか、その歴史を忘れてはいけない!と。