旧約 第15週
士師記5章~19章

基督聖協団 練馬グレースチャペル 牧師
横田 義弥

2009年10月31日 初版

【日曜】 士師記5章~6章

 聖書の物語の筋書きは、大きく3つに分けられる。第一、世界は良きものである。第二、世界は堕落している。そして第三、世界は贖われ得る。そして、士師記は 読者に“人は堕落している”ということを嫌というほど見せつける。しかし、同時に、神は、堕落した人を贖われる(買い戻す)、あわれみ深いお方であることを示す。
 5章のデボラとバラクの詩に見られる、堕落したイスラエルを贖われる神と、それに対するイスラエルの民の様々な態度から、今の自分自身と神との関係に光当てられてゆこうではないか。
 6章、神は、堕落したイスラエルをいつ贖われておられるか? しっかりと読み取ろう。神は、選びの器であるギデオンを通して、イスラエルの贖いの業を推し進められる。主の使いとギデオンとのやり取りも興味深い。また、神とのコミュニケーションにより、ギデオンは、小麦を打つ者から神から遣された者、さばきつかさ、士師へと変革される。私たちは、神とギデオンのコミュニケーションから大いに学んでゆこうではないか。あなたもまた、あなたの隣人から世界に至る神の贖いの御業ために神に選ばれている器なのだから。

【月曜】 士師記7章~8章

 7章は、ギデオン率いるイスラエルとミデヤンとの戦いである。その戦いは、まさに、ギデオンの権力や能力によるのではなく、神の霊による戦いであった。ギデオンにとっては信仰の戦いである。しかし、ここで注目したいのは、神はギデオンにただ信仰を命じるだけではなく、神は、彼の恐れを勇気に変えるためにねんごろなサポートしておられるところである。ギデオンにとって若い従者プラの存在は何と心強かったことだろう。同様に、神は、あなたをサポートするために共同体を用意しておられる。それは互いに支え合う共同体である。あなたに備えられている共同体は何か? 私たちは共同体で信仰の戦いをしてゆくのである。
 8章、ミデヤンに勝利し、立派な士師として歩んだギデオン、しかし、ギデオンは、人生の終わりをまっとうすることができなかった。その原因は何か? そして、その原因は、今のあなたの生活の何にあたるか? そのことをよく吟味し、私たちの教訓としたい。

【火曜】 士師記9章

 ギデオンの息子の一人、アビメレク、彼は、他のギデオンの息子たちすべてを殺し、権力を奪い取った残忍な悪人である。シュケムにいる彼の身内のすべての者たちは、彼の影響力に呑み込まれてしまった。アビメレクに対抗する者たちも彼に太刀打ちできなかった。彼によって多くの民が殺された。なぜ、アビメレクはここまで落ちたのか? なぜ、人々は、彼の影響力に呑み込まれてしまったのか? なぜ、こんな悲惨な出来事がイスラエルに起きてしまったのか? その原因を私たちはしっかりと受けとめる必要がある。一人、隠れ生き残ったギデオンの末子ヨタムの叫びに私たちはしっかりと耳を傾けるべきである。
 事はアビメレクの思う通りに進んでいるかのように見えた。しかし、ひとりの女が投げつけたひき臼の上石によって、アビメレクは死ぬのである。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6章7節)。9章を通して、私たちの信仰生活の姿勢と態度に光当てられてゆこうではないか。

【水曜】 士師記10章~11章

 アビメレクによる悲惨な出来事の後、イスラエルを救うために次々とさばきつかさが立ち上がり、イスラエルに平和が訪れた。しかし、イスラエルの民は、再び主の前に悪を重ねて行うのでる。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。しかし、そのようなイスラエルに臨まれ続ける神に、私たちは目を留めようではないか。それはまさに「父」である。イスラエルの度重なる背信の罪に怒りを燃やされる父なる神、しかし、神は、ご自身の怒りを止めておられた。それはなぜか? そのことは、イスラエルの民と同じ罪と弱さを持つ私たちの教訓である。
 11章、さばきつかさとなったエフタによって、イスラエルはアモン人の脅威から守られる。しかし、11章の最後には何とも悲しい出来事が記されている。エフタの軽はずみな誓願によって、エフタの娘がいけにえとして殺されてしまう。エフタは神と取引したのである。神はあなたに何を求めておられるか?
 「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51篇16~17節)

【木曜】 士師記12章~14章

 12章、エフライム人は、エフタのアモン人に対する勝利を快く思わなかった。エフライムはイスラエルの中心部に位置し、イスラエルの指導者としての自負心があったからであろう。彼らは、少数の信仰者の背後に働かれる神の御手を見ることができなかったのである。同様の出来事がギデオンのときもあった(8章1節)。このようなエフラエム人の態度と精神こそ、士師の時代の特徴である。私たちも気をつけたい。
 背信→さばき→悔い改め→救済という士師記の図式が繰り返される。13章、神は、御使いを通してマノアという不妊の女に子どもの誕生を告知する。士師サムソンの出生である。
 なぜ、あなたは誕生したのか? 神はペリシテからイスラエルを救うために、サムソンの誕生を特別に計画された。では、あなたの誕生は特別ではないのか? 特別である! サムソン同様、神は、ご自身の特別な計画を持ってあなたを誕生させた。そして、その計画を破壊する罪のなかからあなたを救い出し、その計画を達成させるために、神は、御子キリストをあなたに遣わし、助け主、聖霊をあなたに与えてくださるのである。そして、私たちは、マノアと同様、神とのコミュニケーションによってその計画を具体的に知ることができるのである。

【金曜】 士師記15章~16章

 神は、ペリシテからイスラエルを救うためにサムソンを召し出し、そして、ご自身の栄光をあらわすために、神は、サムソンに特別な賜物を与えられた。同様に、あなたも、神の栄光をあらわすために、神から特別な賜物が与えられている。あなたの賜物とは何か? その賜物を用いて、あなたらしく神の栄光をあらわしていったらよい。
 しかし、サムソンの歩みに注目せよ。サムソンの賜物が神に最も用いられたときはいつか? それは、髪の毛がそり落とされ、力が去り、目がえぐりだされ、牢に放り込まれた後である。神を呼び求め、サムソンが死ぬときである。
 「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです』」(マタイ16章24~25節)
 賜物よりも大事なものがある。それは、自我が砕かれることであり、キリストの十字架があなたのすべてになることである。あなたの賜物の効果は、あなたの人格の変革に伴うのである。神は、サムソンを導かれたようにあなたを導かれる。そして、ご自身の栄光をあらわされるのである。

【土曜】 士師記17章~19章

 17章からイスラエル内部の問題が扱われている。イスラエルの内部は、まさに腐敗した惨憺たる状況であった。17・18章の、ミカをはじめ、祭司となった若いレビ人やダン部族たちの一連の行為、そして、19章の、そばめを引き戻すレビ人からはじまる一連の出来事、ギブアの町の性的堕落は何たることか。読んでいて、人の醜さ、愚かさが痛切に思い知らされる。まさに「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない」(19章30節)状況であった。
 イスラエルがここまで堕落した原因は何か? それは「イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(17章6節)ことである。イスラエルは無政府状態であった。やはり王が必要なのである。しかし、ここで一つの神の言葉を思い出す。それは、イスラエルの民が自分たちに王を求めたとき、神が言われた言葉である。「彼らを治めているこのわたしを退けた・・・」(第一サムエル8章7節)。
 イスラエルの堕落した最大の原因は何か? それは、自分を治めてくれる神を退けたことにある。あなたにも、信頼し、また、影響を受けている「王」に値する人物がいるだろう。しかし、あなたが人を王とし自分を王として、王の王である主なる神を退けたとき、イスラエルの堕落は自分の堕落になりうるのである。私たちは徹頭徹尾、神の御前に歩む者である。では、その実践は何か? 17~19章の「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」イスラエルの民を反面教師として教えられてゆこう。