新約 第30週
使徒の働き24章10節~28章31節

日本同盟基督教団 箕面めぐみ聖書教会 牧師
山下 亘

2007年7月27日 初版

【日曜】 使徒の働き24章10~27節

 テルトロの訴えに続いて、パウロが総督ペリクスに弁明します。パウロはまず、テルトロとは対照的に、お世辞のようなことを言わず、事実のみをあげて一つ一つ弁明していきます。
 第一に、「世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている」という訴えに対しては、自分は礼拝のためにエルサレムに上って来たのであって暴動を起こすためではないと反論しました。
 第二に、「ナザレ人という一派の首領」という訴えに対しては、自分は彼らが異端と呼んでいる特別な群れに属していることは認めましたが、自分たちの方が正統的な教えであることを表明しました。
 第三に、「宮さえも汚した」という訴えに対しては、自分は同胞に施しをし、また供え物をささげるために久しぶりに帰って来たのだと反論しました。

 ペリクスはキリスト教について相当詳しい知識をもっていたので、パウロの弁明を聴いて、大体の事情がわかったようです。しかし、すぐにパウロを釈放することはせず、ある程度の自由を与えて監禁することにしました。
 それから数日後に、ペリクスは妻ドルシラと一緒に、おそらくパウロから個人的に、「キリスト・イエスを信じる信仰」について、「正義と節制とやがて来る審判」について話しを聞きました。しかし、ペリクス夫婦は恐れは感じつつも、悔い改めることはしませんでした。むしろ、金に心を奪われて、救いへの道を見失ってしまったのです。

 イエスさまは、こう言われました。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」(マタイ16章26節)
 今日、キリスト教に関心を持つ人は、決して少なくありません。しかし、救いへの道を見出す人は少ないでしょう。イエスさまの贖いによって救われた私たちだからこそ、大胆にその信仰を告白していきたいと思わされます。

【月曜】 使徒の働き25章1~22節

 パウロがカイザリヤに監禁されて2年が経ったとき、ローマの総督がペリクスからフェストへ交代しました。フェストは着任するとすぐに、エルサレムへ上って、祭司長たちと会談し、そこでパウロの問題について話しを聞きました。祭司長たちは、カイザリヤからエルサレムへ行く間にパウロを殺そうという計画を立てていましたが、それは失敗に終わりました。

 フェストは、カイザリヤに戻るとすぐに法廷を開いて、パウロに関する訴訟を取り上げました。そこでユダヤ人たちは、パウロを多くの重い罪状で申し立てましたが、いずれも証拠を出すことはできませんでした。それに対しパウロは、何も慌てる様子もなく、毅然として「私は何の罪も犯しておりません」と答えたのです。

 両者の言い分を聞いたフェストは、このままでは解決を見出すことができないと判断し、またユダヤ人の歓心を買おうとして、法廷の場をエルサレムに移そうと考えました。しかし、パウロはこれを拒否して、神の導きを信じて、カイザルに上訴することを決心したのです。こうしてパウロは、ローマへと送られることになりました。

 パウロをローマへ送る準備をしている間に、アグリッパ王とベルニケがフェストのもとへ訪問してきました。そこでフェストは、パウロのことについてここまでの経過を彼らに話し、「このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかない・・・」と述べました。すると、それを聞いたアグリッパ王は、「私もその男の話を聞きたい」と申し出たのです。

 パウロは2年間も監禁されていましたが、決して信仰を捨てることはありませんでした。そして、主が言われたように、「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(23章11節)という約束を固く信じていたのです。私たちも、たとえ出口の見えないような試練のなかにあっても、「彼に信頼する者は、失望させられることがない」という約束を常に心に覚えておきたいものです。

【火曜】 使徒の働き25章23節~26章11節

 さて、翌日、アグリッパ王とベルニケをはじめ、多くの有力な人々が同席するところへ、フェストの命令によってパウロが連れて来られました。するとフェストは、パウロを紹介し、自分としては、彼は死に当たることは何ひとつしていないと思うことを話しました。そして、フェストは、アグリッパ王にパウロを取り調べてほしいと願い出たのです。

 アグリッパ王に促されて、パウロは自らの弁明を始めました。パウロはまず、アグリッパ王のようにユダヤ人の慣習や問題をよく知っている人の前で、また多くの有力な人々の前で、自分の証しができることを大変喜びました。「忍耐をもってお聞きください」という言葉に、これまでとは違って、パウロもじっくり聴いてもらいたいという思いが伝わってきます。

 パウロは、ユダヤ人としての自分の生活から話し始めます。それは、彼と同時代に生きたユダヤ人なら誰でも知っているし、証言できることでした。しかも彼は、ユダヤ教のなかでも最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活していました。彼はその熱心さから、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対するべきだと考え、多くのキリスト者を迫害していたのです。

 アグリッパ王や多くの有力者たちの前で、パウロは自分の証しを語り始めました。まさに、主がアナニヤに、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」と語った通りでした。イエスさまは、「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです」と言われます。私たちも、聖霊に導かれて、誰の前でも、大胆に自らの証しを語らせていただきたいと願わされます。

【水曜】 使徒の働き26章12~32節

 さらに、パウロの証しは続きます。ここからは、パウロの回心について、また回心した後の生活について語られていきます。パウロの回心の記述は、9章、22章に続いて、3回目です。それぞれの証しは、同じ事柄が述べられていても、表現が少しずつ違っています。

 パウロはまず、ダマスコでの出来事から語り始めました。ここでは、主がパウロにヘブル語で語りかけられたこと、また「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」と言われたことが新しく記されています。パウロはそこで、自分が迫害しているのはイエスご自身であることを知らされたのです。

 そして、主はパウロに、「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす」という使命をお与えになりました。こうしてパウロは、人間的な熱心さからではなく、天からの啓示であるがゆえに、その使命に忠実に従って、あらゆる人々に伝道してきたことを述べました。

 すると、ここまでパウロの弁明を聞いていたフェストが大声で、「気が狂っているぞ」と叫びました。パウロはそんなフェストのことはあまり気にせず、アグリッパ王に向かってするどい言葉を投げかけました。するとアグリッパ王も当惑して、「あなたはわずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と、なんとも苦しい返事をしたのです。

 「証し」というのは、パウロが述べたように、回心する前、回心した時、回心した後という3つに分けることができるでしょう。パウロは、キリストに出会って、劇的な回心を遂げ、新しい人生を歩み始めました。願わくは私たちも、自分の回心の体験について説明を求める人には、誰にでもいつでも弁明できる用意をしておきたいものです。

【木曜】 使徒の働き27章1~26節

 取り調べが終わると、いよいよパウロはローマへと護送されることになりました。他にも数人の囚人がユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡され、彼の指揮のもと、アドラミテオという船に乗り込んで出航しました。ここからは「私たち」という記述が始まり、同行者ならではの迫力に満ちた描写で記されていきます。

 最初に寄港したのは、フェニキヤの町シドンでした。そこでパウロは、ユリアスの好意的な計らいで、友人たちを訪問することが許されました。次は、ルキヤの町のミラに入港し、そこにイタリヤに行くアレキサンドリヤの船が停泊していたので一行を乗り換えさせました。その後、船は大きな向かい風のため難航し、ようやく「良い港」と呼ばれる所に着きました。

 風を避けて「良い港」にいる間に、かなりの日数が過ぎていました。断食の季節も過ぎて、すでに航海は危険な時期に入っていました。それでも、船は出港の準備を整えていたので、パウロはこれまでの経験から、この航海の危険を警告しました。しかし百人隊長は、パウロの警告よりも、航海士たちのほうを信用して出港していきました。

 それから間もなくして、パウロが心配していた通り、突然風向きが変わり、ユーラクロンという暴風が陸から吹き下ろしてきて、船はそれに巻き込まれてしまったのです。翌日には、人々は積み荷を捨て始め、さらに3日目には、自分の手で船具までも投げ捨てました。それでも事態は全く変わらず、まさに絶望的な状況を迎えていました。

 しかしパウロは、食事ものどを通らないほど失望している人々に向かって語りかけました。「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。・・・私は神によって信じています」(22節) パウロは、単に人々を励ますためではなく、自分が必ずカイザルの前に立つことを確信していたから、そう語ったのです。

 パウロは、こう言います。「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ10章11節)
 私たちの人生にも、突然の嵐が押しよせてくるようなことがしばしばあります。しかし、私たちはどのような状況に置かれても、神の呼びかけに耳を傾け、神の約束を信頼して進んでいきたいものです。

【金曜】 使徒の働き27章27節~28章10節

 パウロの言葉に励まされて、船はアド二ヤ海を漂って、14日目の夜に、ようやくどこかの陸地に近づいたように感じました。彼らは、水位を測りながら進み、暗礁に乗り上げるかもしれないという不安のなかで、夜明けを待ちました。その間、水夫たちが逃げようとしたので、パウロの言葉を聞いた兵士たちが、小舟をつないでいた網を断ち切って流してしまいました。

 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように薦めました。このあたりから、船の指揮官はすっかりパウロに移っていたようです。パウロはここで再び、「あなたがたは助かります」と言って、全員が助かることを約束しました。このパウロの言葉に励まされ、276名の乗組員は一致して船を無事に浜辺に上陸せようと協力していきました。

 すっかり夜が明けると、どこかわからないが陸地が見えてきたので、そこに船を乗り入れようということになりました。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船は座礁してしまったのです。そこで兵士たちは慌てて、このどさくさに囚人たちが逃げ出さないように、いっそ彼らを殺してしまおうと相談しました。しかし、百人隊長がその計画を退けたのです。

 こうして、なんとか全員が無事に上陸することができました。彼らがたどり着いたのは、マルタという島でした。幸いその島の人々は親切で、パウロたちをもてなしてくれました。そこで、パウロの手に1匹のまむしが取りつきますが、結局、何の害も受けませんでした。それを見た人々は、「この人は神さまだ」と言い出す始末でした。

 また、マルタ島には、ポプリオという首長がいました。パウロたち一行はそこへ招待され、3日間、もてなされました。そこで、ポプリオの父が病の床に就いていたので、パウロは主に祈って、その病気を治しました。島の他の病人たちもパウロを訪ねて来て、治してもらいました。こうしてパウロたちは、ますます人々から尊敬されていったのです。

 「突然の嵐」、「船の難破」、こうした人間的には辛い経験を通して、パウロはマルタ島での証しができました。パウロは、こう言います。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8章28節)。私たちも、辛い経験をすることがありますが、どこまでも神の最善のご計画を信頼していく者とならせていただきたいものです。

【土曜】 使徒の働き28章11~31節

 こうしてパウロ一行は、3か月の間、島に留まりました。そして、ようやく冬も去って、航海が再開される頃になったので、島で冬ごもりをしていたアレキサンドリヤの船に乗って出航しました。それからシラクサに寄港し、レギオンを過ぎて、無事、ローマの門戸であるポテオリに入港したのです。

 その港町には主にある兄弟たちがいたので、パウロは彼らのところに7日間滞在しました。何年かの幽閉と数ヶ月に渡る航海を終えたパウロたちにとって、彼らとの交わりはどれほど勇気づけられ、慰められるひとときだったでしょう。こうして、パウロたちはローマに到着したのです。もっと言えば、エルサレムからローマへ、ついに福音が到着したのです。

 ポテオリからローマまでは180kmの距離があり、およそ1週間の道のりです。彼らがローマに着くと、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許され、ある程度の自由が与えられました。それでも彼が囚人であることに変わりはなく、鎖につながれて、おそらく兵士に監視をされていたのでしょう。

 それから3日後に、パウロはユダヤ人のおもだった人々を呼び集め、自分がローマに来るようになったいきさつを説明しました。パウロは、自分が先祖の慣習に対して何ひとつそむくことはしていないこと、ローマ人が自分を取り調べたが死刑にする理由は何もなかったこと、やむを得ずカイザルに上訴したことを述べました。そして、彼が最も強調したかったのは、自分はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているということでした。

 しかし、不思議なことに、ローマのユダヤ人たちはパウロについて何も連絡を受けていませんでした。キリスト教がユダヤ教の一分派のように受け止められ、至る所で非難されていることは知っていたが、そのことも直接パウロ本人から聞きたいと思っていました。いずれにしても、パウロは直接ローマのユダヤ人に福音を語る機会が与えられたのです。

 パウロのもとには、大勢のユダヤ人が訪れ、「彼は朝から晩まで語り続けた」とあります。その説教の中心の第一は神の国についてであり、第二は旧約聖書によってイエスさまが救い主であることを証言することです。それをある人々は信じ、ある人々は信じませんでした。こうして、パウロは異邦人への伝道に向かっていくのです。

 「こうしてパウロは満二年の間・・・大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」
 「こうして」の言葉で、使徒の働きは閉じられます。しかし、復活のイエスさまが教会を通して、今も働いておられることに変わりはありません。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・地の果てまで、わたしの証人となります」(1章8節)。
 「こうして」私たちも、聖霊の力を受けて、地の果てまで、この福音を宣べ伝えていく者にならせていただこうではありませんか。

参考文献

  • 村上宣道『使徒の働き(新聖書講解シリーズ5)』(いのちのことば社、1983年)
  • F. F. ブルース『使徒行伝』(聖書図書刊行会、1958年)
  • 斎藤篤美「使徒の働き」『新聖書注解・新約2』(いのちのことば社、1973年)
  • I. ハワード・マーシャル『使徒の働き(ティンデル聖書注解)』(いのちのことば社、2005年)