新約 第28週
使徒の働き15章30節~19章41節

日本イエス・キリスト教団 我孫子栄光教会 牧師
二宮 一朗

2007年7月6日 初版

【日曜】 使徒の働き15章30節~16章10節

【15章30~35節】 アンテオケ教会、エルサレム会議の報告を受ける

 異邦人教会であるアンテオケ教会で、エルサレム会議から届けられた書簡が読まれた。そこには、ユダヤ人が守っていた割礼や種々の律法を守るようにという言及がなかった(15章28~29節)。主イエスの十字架による罪の全き贖いとそれを信じる信仰のみによる救いが、聖霊の導きによるエルサレム会議で確定されていた。アンテオケ教会は、非常な歓喜に包まれた。会議から遣わされた者たちが一同を励まし、主の御言葉を教え、かつ宣べ伝えた。律法主義から解放されたこの時より、異邦人への世界大の宣教が、このアンテオケ教会を拠点に展開していくこととなった。

【15章36~40節】 第2回宣教旅行への出発

 パウロは、第1回宣教旅行で主の御言葉を語った所に訪問しようと立ち上がった。しかし、それは、第1回宣教旅行が聖霊に示されてスタートしたのとは違っていた(13章1~3節)。「さあ、・・・見てこようでなないか」(口語訳36節)と、勢い込んだ思いがあり、パウロは、同行する者についてバルナバと激論し、別れ別れになる始末であった。言わば、自分の肉によるスタートであった。そこには、神の全き祝福と導きは期待できない。

【16章1~8節】 聖霊に禁じられて

 パウロは、ルステラでテモテを得、行く町々でエルサレム会議の決議を伝えて前進したが、2度にわたって聖霊に止められて、前は海しかないトロアスに着いた。パウロは、どんなにか失望し、悔い改めの祈りをし、全てを神に委ね、御心を求めて祈ったことであろう。しかし、人が自分の業を終えた夜こそ、神の業が始まる夜明けとなる。

【16章9~10節】 マケドニヤ人の叫びに応えて

 ある夜、パウロは幻を見た。1人のマケドニヤ人が、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」(9節)と、彼に懇願する、救いを求める魂の叫びであった。そこで、パウロたちは、海を渡ってマケドニヤへの宣教を決意した(ここから著者ルカが加わった)。神の御心と確信したからである。このマケドニヤ人の叫びこそ、ヨーロッパ、さらに全世界への宣教を展開するきっかけとなった、神からのビジョンであった。

* まとめ

 主イエスの十字架の全き救いを感謝しよう。聖霊による神からのビジョンを求めよう。与えられたなら、神の御心と確信し、信仰をもって歩み出そう!

【月曜】 使徒の働き16章11~34節

【11~15節】 マケドニヤ宣教の初穂

 パウロたちは、マケドニヤ人の叫びの幻を見て、神の御心と確信し(9~10節)、ピリピに行った(12節)。安息日になって、祈り場を探して川のほとりに行った。会堂を造るのに必要な10名のユダヤ人がおらず、会堂がなかったのであろう。そこで、ルデヤとその家族が救われた。大きな働きには見えない。しかし、その後マケドニヤやアカヤで拡大していく宣教の初穂となった。私たちも、神からの幻を見て、確信して、行く、そういう者でありたい。

【16~18節】 占いの女、悪霊が追い出される

 占いの霊につかれた女奴隷と出会った。その悪霊はパウロたちが神のしもべであることがわかっていたので、幾日も後を追って来て、叫んでいた。悪霊によって宣伝されるのは相応しくなく、パウロは主イエスの名によって、彼女から悪霊を追い出してやった。今の時代にも、占いはよくなされ、また、悪霊は人についたり、神の働きの邪魔をする。私たちは、それらを避けなければならない。幸い、主イエスの名は、悪霊を退かせる力がある。

【19~24節】 パウロたち、捕えられる

 女から悪霊が出て行ったことにより、主人たちは儲ける望みが絶えた。そこで、言いがかりをつけ、パウロたちを捕え、長官たちに引き渡した。パウロたちは、着物をはがされ、鞭で打たれ、牢に入れられ、足には足かせが掛けられた。さらに、看守の厳重な監視が始まった。とても、宣教どころではなくなった。

【25~34節】 看守たちの救い

 この状況下で、何とパウロたちは真夜中に神に祈って賛美した。そのとき、神の御業が始まった。大地震が起こり、牢の扉が全て開き、皆の鎖が解けた。全囚人を脱走させたことの刑罰を恐れて自殺しようとした看守の目の前に、理解しがたい光景が展開していた。囚人たちは皆、そこにいた。看守は、この生死の狭間で、根源的な救いをパウロに求めた。パウロは言った、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31節)。それは、「あなたでも家族でも、主イエスを信じるなら救われる」との意味である。看守とその家族は信じ、心から喜んだ。現代においても、主イエスこそ、永遠の命を与え、いかなる状況下でも神の平安を与える、救い主である。

* まとめ

 主は、悪霊の邪魔をも退け、いかなる状況にも平安を与え、証しする機会と変えてくださる。救い主を証ししよう!

【火曜】 使徒の働き16章35節~17章15節

【16章35~40節】 パウロたちの釈放

 パウロらが牢に入れられた次の朝、長官らが警吏たちを遣わしてパウロらを釈放しようとしたところ、パウロは、ローマ市民である自分たちを正当な裁判もせずに鞭打ち投獄したことに対して、抗議した。パウロとシラスはローマ市民権を持っていたので、法的保護があり、鞭打ちという重い刑罰は免除されるはずであり、長官側の手落ちであったからである。長官たちは、自分でやって来て詫びた上、町から出るように願った。2人は、ルデヤの家に戻り、勧めをし、宣教に出かけた。ここに、パウロが宣教において世の制度をも軽んじないで用いようとした姿勢が、見られる。私たちも、この世での宣教において、正しく知恵を用い、賢く振る舞いたい。

【17章1~9節】 テサロニケでの宣教

 テサロニケに着いたパウロたちは、「聖書に基づいて彼らと論じた」(17章2節)。そして、キリストは必ず苦難を受けて復活すべきこと、主イエスこそユダヤ人が待ち望んでいたキリストであると説明し、論じた。信じる者と信じない者が起こった。信じる者の中には、多数のギリシヤ人もあった。信じないユダヤ人たちは、パウロたちを探したが見つからないので、ヤソンたちを市の当局者の所に引きずって行き、パウロたちについて大声で言った、「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。・・・彼らはみな、(カイザルでない)イエスという別の王がいると言って、・・・そむく行ないをしているのです」(17章6~7節)。パウロたちの宣教が世界大となったことを認め、その一方で、主イエスを霊的王とする福音を曲解していた。

【17章10~15節】 ベレヤでの宣教

 パウロたちは、夜の間にベレヤに移動し、会堂で教えた。ベレヤのユダヤ人は、テサノニケのユダヤ人より素直で、教えを受け入れ、パウロの語ることが正しいかどうかを「毎日聖書を調べた」(17章11節)。その結果、多くの者が信じた。ギリシヤ人たちも信じた。しかし、テサロニケの人々が押しかけて来て、群集を扇動して騒ぐため、シラスとテモテはベレヤに留まるが、パウロは遠くアテネまで送られて行った。

* まとめ

 私たちも、この世において、正しく知恵を用いて賢く振る舞い、聖書に基づいて主イエスこそ救い主であると証ししよう!
 また、人々が聖書に真理を求めて発見するように、人々を導こう!

【水曜】 使徒の働き17章16~34節

アテネでの宣教

 パウロは、アテネの町に偶像がおびただしくあるのを見て、憤りを感じた。「アテネにある偶像の数は、アテネ以外のギリシヤの町にあるすべての偶像の数に勝る」と言われている。また、こうも言われている、「アテネでは、人と出会うより、神に出会う方が容易い」と。このようなアテネで、パウロは、会堂でユダヤ人たちと論じ、また、広場では出会う人々と論じ、エピクロス派(快楽こそ人生の主要目的とし、神々は人の世界から離れて人に関心を示さない、と考える派)やストア派(一切万物は神で、神と世界とは同一とする汎神論に立ち、あらゆる物を神とし、一切のものは神の意志のもとに運命が定められている、と考える派)の人々の注目を集めた。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所(裁判や外来講師の身分審査を実施した所)に連れて行って、パウロに語らせた。耳新しいことを聞いたり話したりすることに時を過ごしていたからである。
 パウロは、語りだした。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。・・・『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」(22~23節)。パウロは、人々の宗教心をほめ、「知られない神に」と刻まれた祭壇を糸口に、次のように語りだした。「天地の創造者なるまことの神は、人からの供給を必要とされず、人に必要な供給を与えるお方である。人の営みの背景には、神が介在しておられる。人々が熱心に追い求めて探しさえすれば、神を見いだせるようにして下さっている(口語訳27節を参照)。あなたがたの詩人の言うように、『私たちもまたその子孫である(本来は、異教の神々を指す)』(28節)。だから、偶像礼拝を捨てて、悔い改めよ。神は、主イエス・キリストによって裁かれる。彼が復活したことが、その確証である」。人々は、パウロの話に関心をもったが、復活の話になると、あざ笑う者や、また聞くことにするという者が出た。しかし、信じる者が幾人かあった。

* まとめ

 ユダヤ人に語ってきたパウロが、神観そのものが違うギリシヤ人に語るために、相手の文化的文脈のなかで語ろうとしたこの説教は、注目に値する。私たちも、幾人かを救うために、相手の心を心として、福音を伝えていこう!(第一コリント9章19~22節)

【木曜】 使徒の働き18章1~23節

【1~17節】 コリントでの宣教

 アテネで知恵を用いて語って、あまり成果の上がらなかったパウロは、コリントへ行った時、十字架以外のことは語るまいと決心していた(第一コリント1章22~23節・2章2節)。
 コリントは、商業都市、貿易の中継地都市として繁栄し、偶像礼拝と不道徳がはびこる町であった。パウロは、ここに着いて、いつものように会堂に入り、ユダヤ人にもギリシヤ人にも語った。しかし、いつもと違う点があった。クラウデオ帝によるユダヤ人追放令によりイタリヤから退去させられ来ていたアクラとその妻プリスキラと共に、天幕造りをしたことである。彼は、伝道者は宣教の働きで生活すべきと認識していた(第一コリント9章14節)。しかし、その権利を主張せず、必要なときは自ら汗して働いた。そして、献金で生活できるときは、宣教に専念した。
 シラスとテモテが着き、パウロは宣教に専念できるようになり、ユダヤ人に、主イエスがキリストであることを力強く証しした。しかし、彼らが反抗し続けるので、血の責任を彼ら自身に負わせ、「今から私は異邦人のほうに行く」(6節)と言い、異邦人宣教に専念することを表明した。パウロは、神を敬う人の家に行き、多くの人に福音を語った。人々は、主を信じて洗礼を受けた。
 そんなある夜、主が幻の中にパウロに現れて言われた、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。・・・この町には、わたしの民がたくさんいるから」(9~10節)。迫害を受けてきたパウロに、主は恐れず語り続けるべきことを語られた。パウロが恐れずに語り続けるべき理由は、主がともにいてくださるからである。また、神の民となる人々が大勢いるからである。
 パウロは、一年半留まり、神の御言葉を語り続けた。訴えられることはあったが、すぐに釈放された。
 私たちも、自分で宣教の門を閉ざすことなく、聖霊に信頼し、宣教の働きを展開していきたい。

【18~23節】 アンテオケへの帰還、第3回宣教旅行の出発

 パウロは、コリントでの働きを終え、頭をそった(ユダヤ人宣教への配慮からの「ナジル人の誓願」であろう。民数記6章1~21節)。そして、エペソ、カイザリヤ、エルサレムを経て、第2回宣教旅行の出発地アンテオケへ帰還した。そして、改めて第3回宣教旅行を開始した(23節)。

* まとめ

 私たちも、人を恐れず、語り続けよう! 主がともにおられ、人々を救いに導かれる。

【金曜】 使徒の働き18章24節~19章20節

【18章24~28節】 アポロへの指導

 アポロという人がエペソに来た。アレキサンドリヤ(ギリシャ語を共通語とし、七十人訳聖書が作られた地)生まれで、ユダヤ人家庭に育ち、当然のように聖書に精通し、しかも、主イエスが救い主だと認識していた。しかし、バプテスマは、ヨハネのものしか知らなかった。彼が会堂で語るのをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招き入れ、「神の道をもっと正確に彼に説明した」(26節)。主イエスの福音を語ったのであろう。その結果、彼は有能な伝道者となり、アポロはコリントで大きな働きをすることとなった(第一コリント3章4~6節)。
 アポロを指導したのは、信徒夫妻であった。いつの時代も、伝道者のように信仰を指導できる成熟した人が、信徒のなかにおられる。私たちも皆、このような信徒へと、成長させていただきたい。

【19章1~20節】 エペソでの宣教

 アポロがコリントにいた時、パウロはエペソに来た。パウロはここで、「言葉による宣教」と「わざによる宣教」の2種類の宣教を展開する。
 パウロがエペソにいる主の弟子に尋ねたところ、聖霊の存在を知らず、また、ヨハネのバプテスマしか受けていなかった。パウロは語り、主イエスの名によるバプテスマを彼らに授けたところ、聖霊が彼らにくだった。また、パウロは、会堂で3ヶ月間、大胆に神の国について論じ勧めた。その後、反対する者たちが出たため、人々が集まって講義を受けたり時間を費やす「ツラノの講堂」で2年間、毎日論じ続けた。その結果、エペソのみならず、アジヤ一帯の住民への宣教がなされた。
 パウロによる宣教は、言葉によるのみならず、ときには、わざ(神の奇蹟)によるものであった。主イエスの名による悪霊の追い出しを、信仰のない者がパウロに真似て行なおうとしたところ、逆に悪霊に攻撃された。このことがエペソ中に知れわたり、皆が恐怖に襲われ、主イエスの名が崇められた。信者が大勢来て、罪を告白した。魔術をしていた者たちは、大量の魔術の本を焼き捨てた。「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」(19章20節)。
 宣教において、「言葉による働き」と「わざによる働き」は、ともに神に用いられる。それは、「福音伝道」(霊的必要へのアプローチ)と「社会的関心」(その他の必要へのアプローチ)の両者でもある。その両者とも含めたものが、「宣教」である。

* まとめ

 私たちも、人に指導できるまでに成長させていただこう。また、言葉と行ないをもって、宣教しよう!

【土曜】 使徒の働き19章21~41節

【21~22節】 パウロの決意

 パウロは、エペソで様々な困難に遭遇したが(第一コリント15章30~32節、第二コリント1章8~10節)、エペソでの宣教は進んで、終盤を迎え、パウロは自らの決意を表明して言った。「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」(21節)。これは、聖霊によって与えられた自らの使命を自覚し、それに従ったパウロの、決意表明である。世界の中心への宣教に命を賭ける決意であった。ローマは、本書における最終目的地、宣教の目的地である。まずエルサレムへ行って異邦人教会からの献金を届け、その後はローマを目指すことにした。パウロは、後にローマでテモテに手紙を書いて言った。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(第二テモテ4章7節)。

【23~41節】 エペソにおけるアルテミスの騒動

 エペソには、アルテミス神殿があった。元来ギリシヤ神話の狩猟の神であるものが形を変え、豊穣の女神として祭られ、当時の世界の30箇所以上で礼拝がなされていた。神殿は、200年の歳月をかけて造られ、奥行103m、間口43mで、大理石円柱は100本あった。肥沃の象徴として多くの乳房、小果実の修環や全身に密生する動物は動植物の保護者を表わし、また、頭にかぶった冠に刻まれた3つの門のある城壁はエペソの守護神であることを示していた。神殿の存在によって多くの富が得られた。銀の神殿の模型を売る者もそうであった。ここでパウロが福音を語ったため、彼らとぶつかり、彼らは人々をも巻き込み、アルテミスの名を呼び出した。市の書記役が出てきて群集を静めたので、集会がやっと解散するに至った。
 私たちが宣教する対象である方々は、偶像礼拝をする方々が多い。そして、人数からするなら、そのような勢力の方が大きく力を持っている。私たちの宣教において、規模の大小はあっても、このような騒動や対立も起こり得る。私たちは、目に見える状況にではなく、見えないが実在するまことの神に全く信頼して、事に臨みたい。

* まとめ

 人生のなかで大切なことの一つは、すべきことを成し遂げるということである。そのためには、神から与えられた使命を自覚しなければならない。そして、神に従う決心をしなければならない。私たちも、御霊に導かれて自らの使命を自覚し、神に従おう!そして、「ローマも」(21節)と、宣教すべき人々の所へ出かけて行く決意をしよう!